ナガサキノート 若手記者が聞く被爆者の物語(朝日新聞)の書評・感想

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ナガサキノート 若手記者が聞く被爆者の物語 (朝日文庫)

本書は、朝日新聞長崎県内版で2008年8月10日から2009年5月14日までに連載された31人計270回に加筆修正した、原爆の被害者たちの経験語りを収録した作品です。取材・執筆は、20~30代の、大半が「親も戦後生まれ」という若手記者たち。31人、それぞれの立場・経験から語られる長崎の原爆。原爆の本を読むといつも思うことなのだけど、これほどとんでもない状況の中で、よく生きている人がいたな、ということ。爆心地にもの凄く近いところにいた人でも、たまたま運良く生き残った、という人もいる。運命だとかって言葉は好きじゃないから使わないけど、生きていることが特別だという感覚を強く共有することになるような、とんでもない出来事だったのだろうと思う。
本書で描かれる31人は、かなり様々な立場の人だ。大半は、今も長崎県に住む、ごくごく普通の人だ。自身の体験を修学旅行生などに語り部として語る人もいれば、自身の体験を未だ消化することができず、出来ればあの時のことは話したくないということもいる。爆心地の近くにいた人もいれば、爆心地から遠かったけど原爆投下後に市内に入り被曝した人もいる。医学生として救助に走り回った人もいれば、機関車の運転手として怪我人を輸送した人もいる。
また、もっと特異な立場の人もいる。在日韓国人だった被爆者、サンパウロ在住の被爆者、日本の捕虜となったオランダ兵の被爆者などだ。
様々な立場から、それぞれの経験を語る。戦争そのものを知らない、被爆者に会ったこともないような僕には、どうしても「被爆者」という大きな括りの中で捉えたくなってしまう。でも、それは違う。一人一人違った経験をし、一人一人違ったことを考えている。そういうものの総合として、「被爆者」という大きなまとまりが存在するのだ。どうしても、原爆というものが身近ではない生活をしていると、そのことを忘れがちになってしまうから、時々こういう本を読むと背筋がしゃんとする。
なんというか、『伝えていかなければいけない』とか『忘れてはならない』みたいな表現を耳にすると、凄く複雑な気持ちになる。それは、自分の中に生まれる相反する思いをうまく消化できないからだ。
なんとなく、『~なければいけない』『~はならない』という表現にモヤモヤする自分がいる。そうじゃないだろう、と。そんな、義務感とか強制力によって伝わるべきものではないはずだ、と思ってしまう。それは、水が流れていくように、自然に世代を超えて伝わっていくべきものであるはずなのに、と思ってしまう。
しかし、そう思う一方で、じゃあお前はどうなんだ、という問いを自分に突きつけてしまう。お前だって、普段は原爆のことなんか意識してないじゃないか。時々本を読んで、知った気になってるだけじゃないか。広島にも長崎にも言ったことがなければ、被爆者に直接話を聞いたこともないくせに。それに、僕は反論できない。確かに、その通りだ。
既に、被爆者の方々は高齢だ。いずれ、そう遠くない将来に、原爆による直接の被害者というのはいなくなってしまうのだろう。それは、避けられないし、仕方ない。
僕には、なんだかもどかしく思える。彼らの経験・感情を、例えば写真に撮るようにして、正確に何かに焼き付けることが出来ればいいのに、と思ってしまう。彼らが語る言葉も、それは物凄い力を持っている。でも、やっぱり言葉は言葉であって、経験にはどうしても敵わない。僕が死ぬまでに恐らく、日本中から原爆の直接の被害者がいなくなる、そんな時代が来るのだろう。それは、なんだか、凄く恐ろしいことのような気がする。

感想

日本の捕虜となったオランダ兵の主張は、本書の中では異質だと思う。立場も国政も、色んな違いはある。このオランダ兵の主張は、読者に、特に同じ被爆者たちに、どんな感情を引き起こすのか。
本書の中に、マット・テイラー監督「GATE」というドキュメンタリーの話が出てくる。これは、ちょっと見てみたい。福岡県星野村で燃やし続けられている原爆の火を、核実験場だった米国トリニティ・サイトまで運ぶため、2500キロを行脚するナガサキの僧侶たちを追ったものだそうだ。
被爆者たちは、未来永劫語れるわけではない。生身の人間として、目の前の人に直接語りかけることができるのは、生きている間だけだ。僕達よりも、もっともっと下の世代にまで、原爆の経験は伝わって欲しい。こういう作品は、少しずつでもいいから、誰かの手に届いて欲しい。

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