ふくわらい(西加奈子)の書評・感想

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ふくわらい

鳴木戸定は、出版社の書籍編集者だ。
「マルキ・ド・サド」を文字って名付けられた定の名前。父親の栄蔵は、旧家の息子として生まれながら放浪の旅にh人生を見出し、「紀行作家」としてコアな人気を誇る作家であった。
定はもちろん、そんな栄蔵に影響を受ける。定はある時から父親の旅行について行くようになり、とあるきっかけで定は、日本中で知られる有名人となった。
定を形成したのは、幼い頃母・多恵に教わった「ふくわらい」だ。
定が5歳の時に亡くなった多恵は、定が笑うのをたった一度しか見ることがなかった。それが、初めて「ふくわらい」をした時のことだ。
以来定は、「ふくわらい」に取り憑かれるようになった。タオルで目を覆い、父親が世界中から集めてきた奇妙なものが散乱する暗い書斎で、いつまでも飽かず「ふくわらい」をやり続けた。そうして定は、大人になってからも、誰の顔のパーツでも自在に動かすことができるようになった。
定は、友情というものを知らず、恋をいうものを知らず、乳母である悦子以外の肌に触れたこともなく、編集者になって担当することになったとある老作家以外に自分の裸を見せることもなく、周囲から奇妙な眼差しで見られたままで、ずっと生きてきた。
それで、不自由したことはない。定は、周囲との差異や違和感に懊悩するようなきっかけすらなかった。
そんな定は、編集者となり、様々な個性的な人物と接することになる。時には熱々のミルクティを一気飲みし、時には雨乞いをした。
というような話です。内容紹介が難しいなぁ。
本書は、凄く複雑な形状をした多面体のようなもので、見る方向によってい色んな風に見えるのだろうなぁ、と思います。はっきりとした方向性とか、明確な価値観とか、揺るぎない意志とか、そういうものとは無縁で、混沌とした様々な『個』が、混沌としたまま触れ合い重なりあい、結局最後まで混沌としている、そういうイメージです。ただ、最後の方で、ほんの少しだけ上澄み液みたいなものが生まれる。初めの混沌にはなかったその上澄み液みたいなものが、本書のある種の到達なんだろうな、という感じがしました。
僕にとってこの物語は、「ことばの物語」です。
定の感覚が、僕には微笑ましい。
定の言葉との関わり方は、普通に接したら「堅苦しい」と感じるだろう。
律儀過ぎるのだ。
普通の会話って、流すべきところはするりと流し、足りない部分は自分で勝手に補っている。よく言われることだけど、普通の人の会話をテープレコーダーに撮ってその場にいなかった他者が聞いてみると、きっと意味不明だろう。それぐらい僕たちは、勝手に言葉を引いたり足したりしながら会話をしている。
しかし定にはそれが出来ない。
定にとって言葉というのは、勝手に足したり引いたりできるようなものではない。いや、もちろん編集者だから、原稿に赤を入れて文字を足したり引いたりするのだろうけど、それは定にとって、相手の思考に近づいたりリンクしたりするための道筋だ。だから定は、勝手に言葉を足したり、勝手に言葉を引いたり出来ない。分からない単語があれば説明を求め、内容に矛盾があれば指摘し、理解できない価値観には頷かない。
そんな定のことを、周囲はなかなか理解することが出来ない。子どもの頃からそうだったし(まあ、会話能力以外の部分で避けられていた部分もあるにせよ)、大人になってからも、定の奇妙な言動にはほとんどの人が理解が追いつかない。

感想

あと僕は、水森ヨシが素敵だなと思いました。彼女もまた、「ことば」と格闘し続けた人生でした。彼女の行為は、確かに罪かもしれないけれど、僕はそれを肯定してあげたいな、という感じがします。
読む人によって、色んな読み方ができることでしょう。僕は「ことばの物語」だと思いましたけど、そう感じない人も多くいることでしょう。僕は本書を読んで、「祝福」という単語が浮かびました。誰が「祝福」したいのか、誰を「祝福」したいのか、その辺りははっきりとは分からないのですけども。なんだかたくさんの人物の言動が、「祝福」に結びついている。そんな感じがしました。読んでみて下さい。

ふくわらい

ふくわらい

  • 西加奈子

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