本にだって雄と雌があります(小田雅久仁)の書評・感想

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本にだって雄と雌があります

本書は、「増大派に告ぐ」でメフィスト賞を受賞しデビューした著者の最新作です。
「増大派に告ぐ」もまあとんでもない作品でしたけど、「本にだって雄と雌があります」もまあとんでもない作品でした。
さて、この作品の内容紹介を、どんな風にしたらいいか。
本の話と言えば、まあ確かに本の話ではあるんだ。けど、僕らがよく見知っている『本』の話かというと、それはいささか違うと言わざるを得ないかもしれない。もちろん、深井家という一家の物語でもある。しかし、じゃあ一体誰が主軸なのかというと、ちょっと困ってしまう。本書の書き手である深井博の祖父である與次郎が一応の主軸ではあろうが、しかし決して與次郎だけの話でもない。というか、連綿と続く歴史の繋がりの中で、誰一人欠けていてもこの物語は生まれ得なかったのではないかと思わせるほど、誰もが誰かの人生に密接に関わりを持つのである。
本書は、『深井博が、自分の子である恵太郎にいずれ読ませるつもりで書いている本』という体裁の作品である。博がこれを書いている時分、まだ恵太郎は生まれて間もない頃。読ませるのは大分先になることだろう。しかし、これは書き残しておかねばならないのだ。なにせ、恵太郎の将来に大いに関わることなのだから。
「あんまり知られてはおらんが、書物にも雄と雌がある」という書きだして始まる本書。それは、祖父・與次郎の口癖の一つでもあった。
学者であり、蔵書家でもあった與次郎は、広い広い屋敷を埋め尽くさんばかりに本を集めに集めていた。祖母であるミキは、鷹揚にその状況を受け入れているようだが、仲睦まじい夫婦は頻繁に、『本が増えてしまうことの言い訳』というやり取りをしているのだった。狸を助けたらお礼に本が大量に届けられただの、飼い犬が地面を掘ったら本がワッサワッサと出てきただのと、様々な繰り言を口にしては、ミキは楽しそうにその戯言に相槌を打つのだったが、その中でも頻繁に出てくる話が、「隣り合った本同士が子を成す」という話だったのだ。
さてここで二人の人物に登場願おう。
一人は、10歳の頃、博が一人で祖父宅に1ヶ月預けられた際、毎夜彼を苦しめることになる壁に掛かった写真の内の一人である。黒川宏右衛門は、深井家の恩人と言っても決して言い過ぎではないはずなのに深井家では何故か別段崇められているというわけではない明治時代の蘭方医である。宏右衛門は、「直亭牛涎」という名で特にどうということもない戯曲を幾つか物していたという顔も持つ人物である。
そしてもう一人は、本名を亀山金吾と言い、後に「鶴山釈苦利」という名で文筆業を営む、與次郎の一高時代の同級生である。彼は一高時代に、「百年しゃっくり」と名付けられることになる奇病を得、生涯しゃっくりが止まることがなかったという不幸を背負うのだが、まあそれはどうでもいい。
さてこの二人。共に『幻書蒐集家』という顔も持つのである。
幻書とは何か。それこそが、祖父・與次郎が与太話として語っていた、「隣り合った本同士が産んだ本」なのである。
相性の良い本同士を隣り合わせに置いておくと、その一組から子が生まれる。その『子』は、様々な呼ばれ方をする、一部の蔵書家の間では秘された存在であったが、與次郎は「幻書」と呼んでいたようだ。
與次郎は、子どもたちには「本の置き場を変えるべからず」というような家訓まで作って厳しく幻書が生まれるのを防ぐ一方で、自らは様々に本の組み合わせを試しては、意図的に幻書を生み出し続けていたのだ。

感想

本書は、本好きかどうかに関わらず楽しめる物語です。なにせ、どんな本好きだって、本書で描かれているような経験は「しようがない」し、「本書を読む以前から望んでいた」なんてことはほとんどありえないと思うからだ。だから、『本』を題材にした物語だからと言って躊躇しないでほしい。この作品は、想像力という翼を限界目いっぱいまで広げ、それでもまだ飽きたらずに、伸ばした翼を想像力という名の馬に両側から引いてもらってギリギリ目一杯まで広げようとして、翼が根本からボキリと折れてそのまま悠久の彼方にまで飛び去ってしまった、とでもいうような作品です。著者の文章の真似をしてみようと思いましたけど、たった一文でも無理ですね。いや、ホント凄い作品だと思います。是非是非読んでみてください。

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