相田家のグッドバイ(森博嗣)の書評・感想

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相田家のグッドバイ Running in the Blood

本書は、息子である相田紀彦が、父・秋雄、母・紗江子、妹・英美子との生涯を振り返り綴った、相田家の一代記といった感じの作品です。
紀彦は、子供の頃から祖父母と関わりを持つことがなく、他の親戚づきあいもほとんどない家庭に育ったので、紀彦にとっては相田家というのは突然現れたようなものであった。両親以外の大人と真っ当な形で関わることも少なかったから、自分の両親が普通だと思い込んでずっと生きてきた。それは、結婚した紀彦が子育てから解放されようかというような時までずっと引きずってきた、紀彦にとってはなかなか修正の出来ない事柄であった。
両親は、なかなかに『普通』ではなかった。
秋雄は、人付き合いを好まず、無口で、理屈が先行するというように、ある程度説明のつくタイプではある。ごく一般的な父親像からはズレているのだろうが、紀彦はそんな父親の存在を非常に尊敬していたし、その生き方に共感してもいた。長じて紀彦自身も、父のようになっていく。それは、世間の基準からすればかなり外れたものであるのだけど、二人にとってはごく自然なものだった。
ある種の狂気を内包していたのは、母の方だった。
母は、一度家に入ってきたものはほとんど捨てなかった。それらは母によって、驚異的な収納力を発揮されて、家中のあらゆる場所に収納されていった。両親の死後、紀彦が育った家を数年掛けて探索するも、その全容を把握することが出来なかったほどの物量である。
しかし両親は、紀彦にとっては非常に良き庇護者であった。父は父らしいことを何もしない、というか紀彦とほとんど喋りもしなかったけど、紀彦は父親の背中を見て、その背中に強く影響を受けて育った。母は、完成されたおもちゃは与えないけど作るための道具はどんなに高価でも買い与える、子供が怪我をしても過度な心配はせず、「それは貴方の手ですよ」と言った具合に諭すだけ、というような、子供をあまり子供扱いしない形で育てた。それら両親の教育方針は、紀彦という個人に非常に重要な形で蓄積され、紀彦という個性の基盤になっていく。
秋雄も紗江子も、やがて老い、入院し、施設に入り、そして亡くなっていく。紀彦は、結婚し、子供を設け、そしてまた夫婦だけの生活になっていく。
そういう時の流れを描き出していく作品です。
今回森博嗣の作品を読んで思ったのは、どうして森博嗣は物語を書くのだろう、ということだ。
森博嗣は、もうお金が欲しいわけではないだろし、誰かに認めてもらいたいという欲求があるわけでもないだろう。誰かに伝えたいことがあるとも思えない。小説と書く、という動機には様々なものがあるだろうが、森博嗣に当てはまるものを想像することはなかなか難しいように思う。
また、ちょっと前に読んだ「実験的経験」という作品のような、なんというかトリッキーで挑戦的な作品であれば、まだなんとなくイメージのとっかかりはあるように思う。うまく言葉では表現できないけど、「実験的経験」という作品を森博嗣が書くことは、なんとなく僕の中でイメージ的にしっくりくる。
けど、本書はどうだろう。

感想

そんな風に僕は、森博嗣の思考に触れて共感し、自分では言語化していなかった感情を捉え、新たな価値観に息を飲む。僕にとっては、そういう体験そのものこそが、森博嗣の作品を読む価値である。正直、本書は、小説として面白いかどうかと聞かれたら、そんなに面白くないんじゃないかと思う。だから、この作品を、僕のように「森博嗣の思考に触れたい」と思っている人以外が読んだらどんな風に感じるのか、よくわからない。かなり特殊な家族の形が描かれるから、共感できる人ももしかしたら少ないのかもしれない。わからない。でも、森博嗣の作品は、それが『森博嗣』という個性のほんの僅かな断片だったとしても、それを垣間見ることの出来る『窓』のようなもので、僕にとってはそこに価値がある
普通の人がどんな風に感じられるかわからないけど、相変わらず森博嗣らしい価値観に覆われた作品で、読む度に、こういう思考・生き方が出来る人になりたい

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