藝人春秋(水道橋博士)の書評・感想

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藝人春秋

本書は、お笑い芸人である浅草キッド・水道橋博士による、14人の芸能人を描き出したルポルタージュ+αという内容の作品です。
まず、本書で取り上げられる14人を箇条書きにしてみます。

そのまんま東(東国原英夫)
甲本ヒロト
石倉三郎
草野仁
古舘伊知郎
三又又三
堀江貴文
湯浅卓
苫米地英人
テリー伊藤
ポール牧
北野武
松本人志
稲川淳二

各々の詳しい内容は後で紹介するとして、本書を読んだ全体的な感想から先に書こうと思う。
本書を読んで、著者による人物描写を形容する二つのモノが思い浮かんだ。「懐中電灯」と「鑿(ノミ)」である。
先に「懐中電灯」の方から。
本書では、著者自身が「懐中電灯」となって、対象となる人物を照らし出している、そんな印象を受けた。光を当てることで対象をくっきりとさせ、その上で描写していく、というような。
そして、「光を当てる」ことで最も重要な点が、「影が出来る」という点だと思う。
著者は、どんな角度から、どんな方向から光を当てるかによって、そこにどんな「影」を生み出すか、冷静に見極めているような感じがする。
短い文章の中で、その人物のすべてを描き出すことなど、もちろん不可能だ。どうしたって、一部分だけになってしまう。人物を切り取るというのは、どんな一部分を描き出すかということでもあるのだろう。そういう意味で、光を当てることで陰影をはっきりさせ、特に「影」をいかに引き出すか、それを常に模索しているように思う。
それは、「文章を書く」という行為だけで出来るわけではない。
著者は、とにかく変わった人が好きなようだ。そして、変わった人と知り合うと、色々質問したり、相手を掘り下げていったりしてしまう。
著者にとって「取材」とも呼べないような、そういう普段の日常の中の(あるいは仕事を通じた)やりとりの中で、「相手に強い光を当てる」ような質問や接触を繰り返し、そうやってその人物のことを見極めていく。普段なかなか見えてこない「影」の部分をいかにして捉えるか。その部分に対する好奇心に強さを僕は感じました。
さて、もう一つの「鑿(ノミ)」の方。
著者の人物描写は、ただの木片に「鑿」を押し当てて削っていく中で、少しずつ造形をしていくような、そんな印象も受けた。
これは、自らの意思で対象となる人物の「形」を決める、ということである。
結局僕らは、自分が捉えられるものしか把握出来ない。当たり前だ。しかし、それを明確に自覚している人は、実はそう多くないのではないかと思う。自分が捉えたことだけではなく、誰かの言葉や態度みたいな、自分の外側の何かによって対象の存在を把握する、なんていうことはよくあることだろう。
しかし、著者はそれをしない。「自分が捉えられるものしか把握出来ない」ということに、非常に自覚的なのだろうなという印象を受けた。
自分が捉えられるものしか把握出来ない、ということはつまり、対象の「形」を自分で決めている、ということではないかと思う。「相手の本質」や「本当の姿」などというまやかしに騙されることはない。著者は、自らが捉えたものを自らの内で再構成し、そうやって相手の形を見定めている。
それはまるで、何の形も成していなかった木片を削りとって何かの形を切り出すようなものではないだろうか。
著者はきっと文章を書く前に、何の形も成していない木片を前に、これをどう削りだすべきか悩んでいるのではないか。そして、悩みに悩んで、そして削り始めた途端、悩みを一切消し去って一気に形を仕上げるのではないか。なんとなくそんな印象を受けた。

感想

テレビに出るような人たちと普段から仕事をし、間近で観察し、さらにそれを的確な文章にまとめ上げることが出来る人というのは、きっとそう多くはないだろう。そういう意味で、この評伝はなかなか独特の存在感を放っている。芸能人への興味から読んでも面白いだろうし、しっかりとしたルポルタージュとして読んでも楽しめる。是非読んでみてください。

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