羆撃ち(久保俊治)の書評・感想

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羆撃ち (小学館文庫)

日曜ハンターだった父から山歩きや狩猟の手ほどきなどを受けのめり込み、20歳の時に手に入れた狩猟許可証を手に、ハンターとして生きていくことを決意した若者の、一つの区切りがやってくるまでのハンター生活を濃密に描ききった作品
北海道小樽に生まれ、大学の同級生が次々と就職していく中、ハンター一本だけで生活してみたいという思いが強くなり、その道を進み続けた。一年のほとんどを山の中で暮らし、里に降りてくるのは、撃った獲物を売る時と、禁猟期だけ。あとは、北海道の凍てつく山の中でテントを張り、寝袋にくるまりながら朝日を待つ。そんな生き方をずっと続ける。
一人での山での生活には、車の維持費やガソリン代、米や味噌などの食料費、タバコなどの嗜好品を入れても50万円もあれば充分に生きていけたという。獲物は、角が良ければシカは頭だけで1頭10万円ほどで、キツネの皮は1頭1万円ほどで売れるという。他にも獲った獲物を売りさばいて現金化し、売れない部分は自分で食べて食料とする。食べるものがあって、狩猟という刺激的な生活を続けることが出来る。何ものにも縛られずに生きていける環境。そういう中で、自然という遥かに大きなものを相手にしながら、その恵みをいただいて生きていく。
何よりも、羆猟は刺激的だ。羆は、毛皮や胆が良ければ1頭30万円ほどになるが、それ以上に、羆という山に生きる生き物の中でも最大の存在感を誇る羆を追い詰め撃つ、この経験に優るものはない。
自然に敬意を払い、撃った獲物の命に誠意を持つ。山に入り獲物を撃つというシンプルだけど刺激的な毎日の狭間に、町で起こる羆騒動やアメリカ留学、そして何よりも手塩にかけて育てた狩猟犬・フチとの交流が描かれ、思考や感覚を自然と溶けこませながら狩猟という原始的な生活を続ける一人の男の生き様が描かれる作品。
凄い作品でした。正直、小説なのではないか?と思いたくなるほどの臨場感は、とてもじゃないけど昔のことを思い出して書いたものだとは思えません。小説の描写のように、緻密で繊細だ。それは恐らく、感覚を自然と出来る限り同化させ、五感をフルに活用して周囲のものを捉えようとする、ハンターとしての習性がそうさせるのだろうと思う。
例えばこんな描写だ。

『葉を透かして薄く差す光は青く薄暗いし、湿った匂いがし、音までが違っている。立っていたときは目につきにくい地味な褐色の小鳥、ヤブバシリだろうか。か細い声でチッチッと鳴き、込み合った藪を伝っていく。そしてときどき小さな羽音を立てて少しずつ飛び移っていく。落葉の重なった中をクモや他の虫が動いている。タニシのような形をした白い透けるような薄い殻で、ササの茎にしがみついている小さなカタツムリもいる。膝をついて周囲の様子をうかがうたびに、湿気がジンワリと膝の肌に冷たくしみてきて、腐った落ち葉の匂いが湧き上がる。ネズミがカサコソと落葉を鳴らし頭を出したりする。足元で圧し潰された枝の折れる音が、小鳥の羽音と変わらないほどなのに、やけに大きく響くように感じられる。そんな藪の中を、羆はトンネルのような跡を残して歩いている。全神経が耳に集中されてくる。ゆっくりと、ゆっくりと跡をつける。どこに潜んでいてもおかしくない』

どうだろう。まるで小説のようではないだろうか。もちろん、本当にその猟の時にこの光景があったのかというとそうではないかもしれない。色んな猟の時の経験が混ざっているだろう。しかしそうだとしても、自然のありようをこれまでくっきりと捉え文章に落としこんでいくことが出来るという点だけでも、素晴らしい描写力だなと思わされる

感想

本書を読んでいると、著者の、僕らごく一般的な人間とは違う感覚の存在を感じさせられる。それは、長い間を経て一般の人間から失われてしまったものであり、だからこそそれを表現するような言葉もない。著者自身が感じていることをうまく言葉に置き換えられていないのではないか、と感じさせられる場面はところどころであった。山に溶け込み、感覚を研ぎ澄ませ、そうやって僕らとはまったく違った環境の中で生きてきた著者。感じていること、考えていること、見ているものがまったく違うものであっても、全然不思議ではないのかもしれない。その、どうしても乗り越えることが出来ない感覚みたいなものが、濃密な描写をさせる原動力になっているのかもしれないとも思う。言葉を重ねても重ねても、どうしても自分の感覚と重なり合わないというもどかしさが、この作品の臨場感を生み出しているのかもしれない。

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