今を生きるための現代詩(渡辺十絲子)の書評・感想

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今を生きるための現代詩 (講談社現代新書)

これほど僕をホッとさせてくれる作品を読んだのは、久しぶりかもしれない。

僕は、とにかく国語の授業が嫌で嫌で仕方がなかった。
本を読むことは、昔から嫌いではなかった。休み時間にも本を読んでいるような子どもだった。けれど、国語の授業は大嫌いだった。今でも、昔のことを思い出して、国語の授業への嫌悪を思い出せるほどだ。
国語の授業では、ある言葉・ある文章・ある段落への解釈が一方的に決められる。それを読んだ「僕」がどう感じたかなんてことは、国語の授業では関係ない。あくまでも解釈には正解があって、その正解をに辿りつけない人間は、国語力がないとされるのだ。
そんなバカな、と子どもの頃からずっと思っていた。
大人になって、本を読んでからこうして感想を書くようになって、なんというか、自分の内側の本を受け入れるスペースが広がったような気がする。どんな作品を、どう受け取ろうが、それは僕の勝手だと思う。どれだけ僕が誤読しようとも、どれだけ間違った解釈をしようとも、その作品は僕にとってそういう価値があるものとして存在可能だ。唯一の解釈なんてどうでもいいし、他の人がどう思っているかなんてこともどうでもいい。ただ僕にとってその作品はどういうものであるのかということだけに忠実にいられればいい。そういうことを、少しずつ掴んでいけるようになった。国語の授業で強制的にそう教わったように、解釈は一つであり、その「正しい解釈」に辿り着けなければ作品を観賞したことにはならない、なんていう風に思っていたら、読書はどれだけつまらないものになっていただろうと思う。
著者も、似たようなことを経験し、考えてきたようだ。

『もともと、日本人は詩との出会いがよくないのだと思う。
大多数の人にとって、詩との出会いは国語教科書のなかだ。はじめての体験、あたらしい魅力、感じ取るべきことが身のまわりにみちあふれ、詩歌などゆっくり味わうひまのない年齢のうちに、強制的に「よいもの」「美しいもの」として詩をあたえられ、それは「読みとくべきもの」だと教えられる。そして、この行にはこういう技巧がつかってあって、それが作者のこういう感情を効果的に伝えている、などと解説される。それがおわれば理解度をテストされる。
こんな出会いで詩が好きになるわけないな、と思う。こどもの大好きなマンガだって、こんなこちことのやり方でテクニックを解説され、「解釈」をさだめられ、学期末のテストで「作者の伝えたかったこと」を欠かされたら、みんなうんざりするにちがいない。詩を読む時の心理的ハードルは、こうして高くなるのだ。
人がなにかを突然好きになり、その魅力にひきずりこまれるとき、その対象の「意味」や「価値」を考えたりはしないものである。意味などわからないまま、ただもう格好いい、かわいい、おもしろい、目がはなせない、と思うのがあたりまえである。
詩とはそのように出会ってほしい。』

これが、本書全体を貫く著者の切なる希望だろう。「詩とはそのように出会ってほしい」。まさにそれを伝えるためにこの本はある。あなたは、詩との出会いが悪かったために、詩の世界からはぐれてしまっているかもしれない。けど、それは当たり前のことだし、そしてそこからまだいつでも引き返すことが出来るのだ。そう著者は言いたいのだ。

感想

『「解釈」ということを、いったん忘れてみてはどうだろう、
詩を読んでそのよさを味わえるということは、解釈や価値判断ができるということではない。もちろん、高度な「読み」の技術を身につけたらそれはそれはすてきなことだが、みんながみんなそんな専門的な読者である必要はないはずだ。もっと素朴に一字一句ありさまをじっとながめて、気にいったところをくりかえし読めばいいと思う。わたしはふだん自分のたのしみのために詩を読むときは、そのように読んでいる』

こういう姿勢でいることは、とても難しいかもしれない。「わからない」と認めることには勇気がいるし、「わからない」ものを「わからない」まま受け止めるには努力が必要だからだ。実際著者が出会う多くの人たちは、そうであることが多いという。「わたしは詩はよくわかりません」とよく言われるのだという

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