ビデオディスク開発秘話の書評・感想

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文庫 ビデオディスク開発秘話 (草思社文庫)

日本の技術開発の歴史の中で、「失敗」が記録されることは非常に珍しいと思う。もちろん、「この成功の影に様々な失敗が」という描かれ方はよくされるだろう。しかし、最後の最後まで失敗だったというプロジェクトについて語られることは、とても珍しいように思う。著者は元々松下電器の技術者であり、本書で描かれるビデオディスクの開発の最前線にいた人だ。その人が退職し、友人と飲んでいる時の会話の中にも、そんな話が出てくる。

『文化の差やね、日本は個人よりも集団や会社が大事なんや。日本企業では、売れて儲かってはじめて技術屋が浮かぶ。それでないかぎりは彼らは記録にも残らない。失敗されば犬死やね』

そういう意味で本書は、非常に面白いノンフィクションに仕上がっているのではないかと思う。ビデオディスクは、世界中の企業を熱狂させながら、結局どこも成功させられなかった開発戦争だ。著者は序章で、ビデオディスク開発の歴史を概観して、こう語る。

『最初の発明にたずさわったのは欧米の技術者たちだった。しかし、彼らは発明者の栄光を手にすることなく、続く失敗と挫折のはてに歴史の表舞台から消えていった。この発明を育てあげ、量産までのレールを敷いて商品に仕立てたのは日本の技術者たちだった。しかし、過酷な開発競争を戦いつづける彼らの中には、不運にさいなまれ、無念の思い出戦線から身を引いていった人びともいた。
膨大な人材と金と時間とが投入されたビデオディスク開発は、二十世紀最後の大型家電製品と呼ばれるにふさわさしい「大事件」だった。その開発競争の陰で数多くの優れた技術者たちが、文字通り血と汗と涙を流し、さまざまなドラマを繰り広げたそれは彼らの人生そのものでもあった。私は松下の開発責任者としてそれらの人たちの姿を記憶にとどめておきたいのである』

あとがきで、「この単行本が刊行された1995年当時、DVDという言葉が新聞紙上をにぎわしていた」と書かれている。様々な違いはあるのだが、60年代から80年代にかけてビデオディスク開発に明け暮れた技術者たちは、ようするにDVDのようなものを作りたかったのだ、と思っておいてほぼ間違いはない。
そもそもビデオディスクという、「画の出るレコード」という発想にとりつかれたのは、アメリカ第一の家電メーカーであるRCA社だったようだ。このRCS社は、テレビに関するほとんどの技術開発をした会社であり、日本のテレビ・メーカー各社はつい最近までRCA社に莫大な特許料を支払っていたという。その莫大な特許料を元に、新たな製品を開発し世に送り出す。当時RCA社というのは、世界の家電製品をリードするトップメーカーだったのだ。
しかしそのRCA社は、既に存在しない。倒産・身売りの原因は様々だろうが、ビデオディスク開発に莫大な研究費を投入しすぎた、という側面もあるようだ。
60年代にRCAはビデオディスクという夢に取り憑かれ、1981年にようやく商品として発売にこぎつける。しかし、たった3年で製造中止を発表してしまったのだ。世界トップの家電メーカーであるRCAの方式が標準となるだろうと睨んでいた人たちもいたようだが、そうはならなかった。
そもそもビデオディスク開発には、「針方式」と「光方式」の二種類の方向性が存在した。RCAや松下電器は「針方式」で最後まで突っ切った会社である。
「針方式」というのは、エジソンが開発した蓄音機と原理は同じであり、針で溝の情報を読み取るものだ。これは当然、「針」と「溝」が物理的に接触するために、様々な困難が存在し、そのことも開発を難航させる主要因となった

感想

一方の「光方式は」、光によってディスク上の情報を読み取る仕組みであり、つまりこれは後のCDやDVDと同じ方式である。というかそもそもCDは、「光方式」のビデオディスク開発の副産物として生み出されたものだ。CDが登場した当時、まさかここまでCDが広まると誰も思っていなかった。本書の冒頭に、こんな会話がある。

『「CDは将来、いつごとLPを追い越すだろうか?」
「うーん。それはずっと先、まあ私が死んでからでしょうなあ。あなたはまだ生きているでしょうがね」』

しかし、技術者たちのそんな予想を遥かに超えてCDは普及した。
「光方式」を生み出したのは、ヨーロッパ随一の国際企業であるオランダのフィリップス社である。しかし、ビデオディスク開発の流れは「針方式」の方にあった。それは何故か。
それは、「光方式」があまりにも複雑だったからだ。

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