スローライフの先駆者・良寛が示す「真の豊かさ」とは。

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良寛のスローライフ (生活人新書)

今なぜ良寛なのか

独特の生き方をつらぬいた良寛は、僧でありながら寺の住職にならなかった。
もともと僧であるからには、里に出て鉢を差し出して食を乞わねばならない。物もらいの乞食だとさげすまれようとも、仏法を広める作法として托鉢こそが釈迦以来の伝統というものである。
「ひとつには食物が作られるまでの労苦の並々ならぬことを思い、ふたつには食物の由って来る処を思い、みっつには自分がよく勤めている怠けているかを計って供養を受け、よっつには修行でっ痩せた肉体を癒すために、いつつには身を保って仏道を成就させるために、この食事をいただくのだ」と心得よ。
食の上・不浄は受ける側の態度にあるという。
グローバル化の現代は、知り私欲の競争社会から排出される地球温暖化ガスで気性に異変が起こり、環境破壊が足元にせまるという恐るべき状態になってしまった。人間が人間らしく生きるためには、良寛が生きて示したスローライフの規範をモデルに考えなおすことが求められているのではないか。

スローライフの原点

「りっぱな言葉は、いつも出しやすい。
しかし、道理を身に着けて行うことはいつも実行されにくい。
それなのにできもしない立派な言葉で、その実行されにくい道理を求めている。
だが、立派な言葉で求めれば求めるほど、道理は実行されなくなり、言葉に出して言えば言うほど食い違いは大きくなる。
ちょうど火事を消すのに油をかけるようなもので、なんの利益もない。 」

良寛ほど言行一致を考え抜き、それを徹底実践した人は少ないと思う。
其れゆえにこそ、無言の中にもオーラの輝きがあったのである。

人のよくない行いを聞いたなら、自分に落ち度があったのではとわが身を反省しせめて、自分に対する態度は、わが身の鏡なのだから決して、人ごとして済ませなかった。

真理ということこもそれに執着すれば迷妄となり、たとえ迷妄であってもそれが迷妄と悟れば心理となる。
真理といい迷妄というのも仮の名称にすぎず、どの経典をとるかなど誰にも決められない。

ロハスな人生態度

良寛は囲炉裏の隅に小さな壺を起き、その中に醤油の実(モロミ)を蓄え、食べ残りの物があっると壺の中に投げ入れていた。
良寛はいうには「かりに虫がわいていも、これを湾に盛れば虫だって命が惜しいから逃げていく。食べるのに何の害もないよ。」と。

ゆっくりゆったりユーモア

心豊かな芸術家

内なる気骨を示す

無欲で快活

感想

寺を持たず仏教の教えに準じて托鉢を基本としていた良寛。食べ残しの有効活用の話もでてくるが、やはり流行やファッションのスローライフとは一線を画し綺麗なことだけではないようだに思う。我唯足るを知る。幸せはなるものでなく、在るもの、見つける物とはよく言うが、並大抵の苦労ではないだろう。そこを言行一致させ、さらに謙虚に生きている。これが清貧思想であり、根本は気骨と覚悟なんだろうと思った。

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