天皇家の暮らしがわかる本「天皇の「まつりごと」―象徴としての祭祀と公務」

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天皇の「まつりごと」―象徴としての祭祀と公務 (生活人新書)

はじめに

私たちは普段、天皇家に接する機会はほとんどない。
テレビを通して目にすることはあるが、どうも別次元の人たちような気がしてしまう。
私たちは、天皇も人間であるというのは当たり前の知識として知っているが、天皇家の暮らしというものについてはほとんど知らない。
数少ない接点の一つが宮中儀礼だと思う。
本書は「祭祀」焦点を当てている。

宮中祭祀

「皇室では様々な祭祀が行われている。それらは宮中祭祀と呼ばれ、天皇が自ら行う大祭と、掌典長が行い天皇は参列する小祭の2種類に分けられる」

「大祭、小祭に大祓などが加わり、天皇は1年のうち30日程度をまつりに費やしている」

「今日行われている祭祀の多くは明治時代以降に制度化されたり継承されたりしてきたものである」

「宮中祭祀の考え方として、鎌倉時代に順徳天皇が『禁秘抄』の中で述べた「禁中作法先神事」という言葉が現代にも受け継がれている」

「中でも祈年祭と新嘗祭は重要視されている」

祈年祭

「祈年祭は、神に豊作を願うまつりであり、律令国家の祭祀として7世紀には既に行われていた」

「始めは天皇が行う重要な祭祀であったが、形骸化したり、天皇が行わなくなったりなどといった紆余曲折を経ている」

「現代の祈年祭は明治時代に復興されたものの流れを汲んでいる」

祈年祭の役割の変化

「祈年祭の際には、料理を神に供え、そのお下がりを頂くという形で食物を分け合って食事していた」

「だが、7世紀に入ると、地方に対する支配を強化するために、朝廷が祈年班幣を付け加えた。それ以来、武器、米穀、酒、織物などの品物を神に供えるようになった」

「それらは、祈年祭のために上京していた神官が持ち帰って神社に供えたり、全国の神社に下げ渡されたりして天皇の代わりに地方の有力な神を祭るものとして機能した」

「班幣と同様に、祈年祭で供えられた種籾も全国に送られ、天皇の力の影響を示した」

「こういったことによって天皇への忠誠を高めさせ、統治を円滑に行えるような体制を維持していたのであろう」

新嘗祭とは何か

「新嘗祭は、収穫を神に感謝するまつりであり、その起源は飛鳥時代の天極天皇の頃である」

「一時中断されたりしながら、江戸時代に復興され、現代の新嘗祭となっている」

「新嘗祭には長期にわたる準備が必要である。実に半年を要する」

「全国を代表して稲穂を献上する国郡を占うことから始まり、祭を行う建物である大掌宮を作る建材を取る山野を占い、全国から品質の良い稲を集め、供え物を盛る器などを準備し、天皇の身を清める御禊を行い、やっと新嘗祭が開かれる」

「新嘗祭が終わると、農耕神は神々の世界に戻っていく。そして、次の種まきが近づいた元日にまた人々のもとに戻ってくる」

祈年祭と新嘗祭が重視されるのはなぜか

「2つの祭に共通しているのは『農耕のためのまつり』という点である」

「どんな時代においても人間は食べること無くして生きていくことはできない」

「天皇が神に感謝するという形を取っていることは興味深い」

「天皇ほどの人が神に願い、感謝する様を見れば、自ずと民衆も農耕に精を出そうと思うであろうし、天皇への忠誠も強くなるであろう」

「このように、民衆を先導・団結する装置として祭が機能していたという面は重要ではないだろうか」

まつりの果たす役割

「祈年祭と新嘗祭は単に『神をまつる』ためのものではなかった」

「政治が「まつりごと」と呼ばれるように、政治と祭は密接に関係している」

「天皇の権力が強く、祭政一致が行われていた時代において、祭は人々を統治する機能を持っていたと言える」

「祭を意味付けるために神話が作られ、天皇は神格化されていったのではないだろうか」

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