勉強して、知的で楽観的になろう!なぜ勉強するのか、どう考えて勉強すべきか

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地アタマを鍛える知的勉強法 (講談社現代新書)

三色ボールペンで読む日本語や 声に出して読みたいで有名な斉藤孝先生の勉強法に関する本です。
そもそもなぜ勉強するのか、どう考えて勉強すべきかという部分が面白かったので、そこを中心にまとめます。

学べば学ぶ程解放される

知識の豊かな人から教わることで、目の前に教養の世界がぱっと明るく開かれました。
人に語ってもらうと、自分も誰かに語りたくなる。身に着けた知識を人に語る心地良さを覚えると、また語りたいがためにさらに勉強する。といった具合に、どんどん学んで、ますます自由になっていったのです。

覚悟を決める勉強法

勉強には腰を据えてやらないと身につかない性質があります。とりあえず目先に試験のためにこなしていくだけでは、決して使える知識にはなりません。
勉強が苦手だと言っている方はたいてい腰が定まっていません。「なんとしてもやる」という覚悟がないので前に進むことができないのです。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」
本来は平等あるはずが、差がついているのはなぜか。それは学ぶことが人の価値を決めるからだ。と、福沢諭吉は説いています。
これは、努力しなくても、人間は平等であるという主張とは真っ向から対立するものです。
学ぶ意欲をもつことが最も大切だと説いています。

「いま、何をかんがえているの」

「いま、何をかんがえているの」と聞かれた時に、
「○○の目的の為に○○という条件を組み合わせたやり方を考えだして進めていますが、実はここで引っかかってしまいました、。打開するために何が必要か考えなおしています。」なんて答えられれば、すで”使える頭”=地アタマを持っているといえるでしょう。
地アタマとは、本質をつかまえ最終地点をイメージし、今の地点からそこへのプロセス(文脈)を見つけ出す力です。

「自分は正しい、自分は悪くない、悪いのは世の中だ」
と考える人は、この世がその人のために成立しているわけではないことを忘れています。客観性がなく、思い込みがつよい人は、一度自己中心性から離れて、別のところに身をおいてものを見るという訓練をしてはどうでしょうか。

「知・情・意・体」を整える勉強法

「『論理的に正しい』ものがゴロゴロある中から、どれを選ぶか。その能力がその人の総合判断力です。それにはいかに適切に出発点を選択できるか、が勝負です。別の言い方をすれば『情緒力』なのです」(『国家の品格』新潮新書)
情緒という感情をもとに価値判断を行うと聞けば、冷静さにかけるように思いますが、その感情あってこそ、そのあとの学ぶためのエネルギーが湧き起こるのです。
感情や情緒を下地にした、価値判断を行う意志。その方向性があるから勉強ができる。そうでなければ、道の途中で方向を見失い、何のための勉強かわからなくなってしまいます。
私は本を読むときに、必ず著者の論理の裏にある「好き嫌い」の感情を読み取るようにします。感情による価値判断があって初めて論理がつくられると思うからです。

「方法的意識の常備」勉強法

「将棋の場合、強い形というのは美しい形なのです。そして、その美しさを感じ取ることのできる棋士が強い。ですから、私は盤上を美しくしようとデザインしていくのです。綺麗な形というのは理屈じゃないでしょ。」(羽生善治 『単純に考える』 PHP文庫)
結果として、いい手がシンプルで美しいのは、直観のように見えても、やはり常に方法的意識を持って、どのやり方が一番簡単かを考えているからです。

感想

後半にでてくる目次勉強法や憑依勉強法も面白かったですが、それ以上に前半部分が、そもそも何のために勉強するのか、どのように勉強するのか論が面白かった。「情緒」、「直感」は曖昧で不正確なようですが、そこに頼らざる得ないというのはよく経験すると思います。「情緒」、「直感」は「机上のお勉強」では身につかないものなんだと思う。こういうのが理解できると、多様性、客観性の重要さに気づけて、考えの合わない人に対して寛容になれる、人にやさしくなれ、精神的に自由になれる。読んでいて心が軽くなりました。紹介しきれなかった後半部分は、若干小手先のテクニック的な部分も感じますが、かなり面白かったです。

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