今日の教育は、本当に大切なことを教えていない。教育は人格の陶冶(完成)のためにあれ。

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新版 学生に与う (現代教養文庫ライブラリー)

拾い読みせずに巻頭から巻末まで通読して欲しいと書かれております。

第1部 価値あるもの

  • 「教育」社会には過去の文化を理解・消化し、発展・創造する人間を育てることが必要。そして学生・卒業生はこの使命を持ち文化を後代に伝えて。どの職種の人も科学や哲学や芸術に関心を持て。教育には二つあり一般的教育と特殊的教育。一般的教育は人格を陶冶(完成)すること。人格を構成するのは学問道徳芸術の3つの要素。特殊的教育とは一般的教育を前提とし、学問道徳芸術などを教え習得させること。学問と道徳が分離した今日の教育をなんとかせねば。漢学がわが国の教育を毒したときから日本の教育の欠陥は始まっていたか。漢学は文字と文章の学習に精力が使われて内容を理解できるに達するのが難しかった。それに儒教は聖人の教えに批判を許さぬ経典だったので批判的精神の育成が損なわれたのではないか。人格の完成と学問等は、全体と部分の関係になければならない。
  • 「学校」教育者は進んで学生に迫ってくるものであるべきだ。教育者とは学校の教育者、本の著者、塾の講師、家庭教師など。著者は個人教師制度はもっと活用されるべきだと思うし、学校という社会における学びももちろん大切だ。人格の陶冶という一般的教育が行われていないのは、教育する人がいないからだ。学問の教師は学者であり教師でなければならないが、今日の多くの教師は、研究者ではあるが学者ではない。学者とは、学問の全体系における自己の専門の地位を明らかにし、隣接した専門との連関を明確に意識していることだ。そして、学問を超えて人格の陶冶における学問の意義を理解しなければならない。教師の一番大切なことは、自己の専門の全学問における地位と、他の専門学科との連関をより明らかにし、学問の人格における意義と価値を学生に対して明確にとかねばならない。そして自らが苦しみ悩んで人生を生きたものでなければならない。人生を生きるために学問と真理との価値を体験したものでなければならない。しかし今の教師はサラリーマンと化した。学生は自分で自己の人格の陶冶をするしかない、それが教養である。
  • 「教養」小さい頃に強制を加え訓練し、青年になって強制を緩めるのがいいと著者は考える。物事になぜ?と問える転機に到達するには青年であり余裕があることが条件だろう。だから学生は幸福だが、懐疑する学生の前途は安易ではない。懐疑を抜けるよい道は特殊を裏打ちする普遍であり、この普遍が人格である。全てが自律でこの本書の全部がその答えである。自我の活動は道徳的・芸術的・知識的活動がある。これらを可能にするのが理性であり、理想を賦与する。知識的活動の理想は真、道徳的活動のは善、芸術的活動のは美。理想なんてものはないというのもまた理想であるから、理想の存在を許容しなければならない。理性が産んだ自我の理想が「人格」。人格は最高の価値・理想だからこれが我々の目的で、他のものは手段であり物件。知識・道徳・芸術的活動は物件でない。人格が最高価値だとは証明できないが、他が最高価値でないことは証明可。カントは「純粋理性批判」で知識的活動を「実践理性批判」で道徳的活動を「判断力批判」で芸術的活動を扱った。彼は人格が最高価値だと力説している。人格についての観念はカントとソクラテスによるところが大きい。「学問」「哲学」「科学」「歴史」「芸術」「道徳」「宗教」と続く。

第2部 私達の生き方

読むこと、考える・書く・語ること、講義・試験、日常生活、修養、親子愛、師弟愛、友情、恋愛、学園、同胞愛、社会、職業、卒業と続く。

感想

難しい内容ですが、教育者や政治家、サラリーマン、高校生以上(中学生は難しいかな)みなさんに読んでもらいたい本だと思いました。何を目的として生きればいいのか、分かっている人少ないですよね、私もまだわかっていません。この本を読めばその糸口が見つかりそうですよ。
まとめといっても、中身が濃すぎてこの文字数制限内ではまとめきれませんでした。簡単にまとめることも無理やりには出来ると思いますが、それでこの本が陳腐化してしまうのは避けたいと思いました。中身の濃さ、複雑さを知ってもらいたくてこのようにしました。
疑問を持たずに従順に生きていくのも楽でいいかもしれませんが、疑問を持ち苦しみ答えを探す方向にいらっしゃいませんか?疑問を持つことそれがよりより社会をつくっていく第一歩だと思っています。

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