よりよく生きて、よりよく死ぬ。死への絶望なしに生への愛はありえない。ガンと終末医療の物語

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ガンに生かされて (新潮文庫)

概要

末期ガンの宣告を受けた世界的プロウィンドサーファーで、『天国で君に逢えたら』の著者が、最期の場所としてハワイを選び移住。家族との間に生まれた心の交流、死の間際まで綴り続けた命の記録。
合間に壮絶な病気の描写が入りますが、お涙頂戴の闘病ものでなく基本的には病気を静かに受け入れ、家族への愛をユーモアを交えてつづられてます。
気になった箇所を抜粋します。

はじめに

『「どうしたらすばらしい、愉快なことが楽しめるか」を問いかわりに、「今どんな善いこと、正しいことをなし得るか」をたずね、あるいは、この究極の目的の為に、どのような自分の状態を改めたらよいかを絶えず問うことにあなたの全思考力をむけているならば‐あなたが住むこの世界について、まったく違った、より満足する観念を得られるであろう。』(ヒルティ『眠れぬ夜のために』)
僕をまだ必要としている人がいて、僕にはやるべきことが山ほどある。
病を得なければ、『天国で君に逢えたら』を世に送り出すことなど、絶対になかっただろう。
全てが善きものに変わった。そう思えるようになった。
なぜだろう?

ぼくはガンの終末期

僕は今回、日本で尊厳死協会に入ってきた。内容はこんな感じである。
1.私の傷病が、現代医学では治せない状態になり、死期が迫ってきた時、いたずらに式を引き延ばす延命処置は一切お断りします。
2.ただし、私の苦痛を和らげるための治療は、最大限お願いします。そのため、例えば麻薬の副作用で死期が早まったとしても、一向に構いません。
3.数か月以上、私の意識が回復せず植物状態に陥って、回復の見込みがないとき、一切の生命維持措置をやめてください。
以上、私の宣言にしたがってくださったとき、すべての責任はこの私自身にあります。

シャークアタックを受けた中学生サーファー

僕の好きな言葉ではないが、「人生、一寸先は闇」。本当に何が起こるかわからない。でも、起こった悲劇を受け止めて彼女は生きていかなければならない。
ある作家は言った。「時に死ぬよりも、いきることの方が困難である」と。
僕も病を背負って、心から生きる力がなくなったとき、その意味が痛いほど心にしみた。
自分の心は、秋の空のようにころころ変わる。その心に振り回されていては、ただ疲れるだけ。うまく言えないけど、それはそれ、これはこれ、できればケセラセラといけたらいい。簡単ではないけれど。

ガンの宣告

ガンだと宣告されたとき、心のある部分では正直悲しくなかった。悲しみでなく解放感を感じた。やっとこの縛りから解放される、と。
”もうこの世での人生はおしまいです。あとは天国でのんびり自分らしく暮らしてください。”
あー、よかった。やっと素のままの自分で生きられる。良い子でなくていい。誰にも気を遣わなくて良い。よかった、よかった。成功志向からも脱却できる。

感想

終末医療なのに、闘病という感じしなくて、ガンと戦うというよりガンと付き合うという感じですごく肩の力が抜けている。先輩アスリートにアスリート向きじゃないといわれた話が出てきたが本当にそう思う。本来戦うというのが嫌いなんだろうな。老子曰く「人は柔らかく生まれ硬くなり死んでいく」というが、この人は最後まで柔らかいままだった。逆説的だが、病を得て「いつでも死ねる」と覚悟を決めたからこそ、穏やかでよりよく生きていけるのではないだろうか。ペンギン村的な穏やかな闘病記で人間として一つの理想ではないかと思う。

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