戦国時代最大の財閥「比叡山」

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織田信長のマネー革命 経済戦争としての戦国時代 (ソフトバンク新書)

比叡山は、戦国時代最大の財閥だった

信長の仏教排斥において、その最大のものは比叡山延暦寺の焼き討ちであろう。元亀二(一五七一)年に行われたこの焼き討ちにより、比叡山の僧侶や住民も含めて老若男女、数千人が殺されたという。『信長公記』には、比叡山延暦寺の焼き討ちに関して、次のように記されている。

山本山下の僧衆、王城の鎮守たりといえども、行躰、行法、出家の作法にもかかわらず、天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀まいないにふけり、浅井、朝倉をひきい、ほしいままに相働く。

さて信長の比叡山延暦寺焼き討ちの経緯は次の通りである。元亀元(一五七〇)年、朝倉と浅井と戦っていた信長は、比叡山に対し「朝倉軍に加担しないように」と要請した。

このとき信長は、「もしどちらかに加担するのが仏教徒として不都合ならば中立を守るだけでもいい。そうすれば以前の比叡山の領地を返還する」と言い、証文まで出している。にもかかわらず、比叡山は朝倉軍に加担したのである。そこで信長は激怒し、翌年、朝倉軍との戦いが一段落すると比叡山を焼き討ちにしたのである。

比叡山としては、これまで信長からかなり厳しい仕打ちをされてきていた。だから、朝倉軍に味方するのは当然ではあった。信長が「加担するな」と言ってきても「何を今さら」という感があったのだろう。

実は信長は、比叡山が朝倉に加担する前から、比叡山の荘園を没収するなどしてきた。最初から比叡山に対して厳しい姿勢で臨んでいたのだ。だからこそ、比叡山は信長に反発した。つまり、信長と比叡山の対決は、最初から避けようがなかったのだ。

なぜ信長は、比叡山に対して初めから挑発的な態度を取ってきたのか? その最大の理由は、延暦寺の経済力にあった。延暦寺は戦国時代、日本で最大級の財閥だったのである。

戦国時代の八大財閥

・大山崎(自治都市)
・細川高国
・堺(自治都市)
・山門使節
・青蓮院
・興福寺
・比叡山三塔
・大内義興

この八大財閥のうち、実に四つ(山門使節、青蓮院、興福寺、比叡山三塔)が寺社関連だ。しかも、四つの寺社関連のうち、山門使節、青蓮院、比叡山三塔は比叡山関連なのである。つまり、比叡山は日本の八大財閥のうち三つを占めていた。日本最大の財閥だったと言っても過言ではないのである。

感想

比叡山ってすごいんです!ただのお寺じゃないのね。

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