今も普遍的な、三島由紀夫の本質的な悪徳

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不道徳教育講座 (角川文庫)

 三島由紀夫のユーモラスな逆説的道徳のすすめ。ウソ、いじめ、忘恩などの悪徳を奨励し、内的欲求を素直に表現することで、近代文明社会が失った健全な精神を取り戻そうとする。そして「自分の内にある原始本能を享楽すること」こそ文明人の最大の楽しみと説く本。それをまとめてみました。

今も普遍な的な、三島由紀夫の本質的な不道徳

少年は、ずるさを覚えて大人になり、優しくなれるが、そのことは大人は教えてくれない。

  • 少年期の特徴は残酷さです。どんなにセンチメンタルにみえる少年にも、植物的な残酷さがそなわっている。少女も残酷です。やさしさというものは、大人のずるさと一緒にしか成長しないものです。
  • 学校の先生は何でも知っているわけではない。それに一番困ったことには、少年期の悩みを先生自身もう卒業していて、半分忘れてしまっていて、その内側をもう一度生きることは不可能になっている。

やたらに人に弱みをさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく「無礼者」と呼ぶ

  • やたらに人に弱みをさらけ出す人間は社会的無礼であって、われわれは自分の弱さをいやがる気持ちから人の長所を認めるのに、人も同じように弱いということを証明してくれるのは、無礼千万なのであります。

一段先の幸福

  • 本当にもう一段幸福に、もう一段喜ばしくなるために、あちら側に、不幸な不具者たちの存在を必要とするのです。しかもこんな本質的に不道徳な喜びが、罰せられるどころか、社会からはほめそやされ、神様からはよみされるというのでは、やめられたものではありません

ウソは本当らしく見えれば美しく、大変なエネルギーが要る、そしてその一例が小説である

  • ウソが本当らしくみえればみえるほど、美しく見えるというのが、ウソの法則であって、現実の世界では、本当のことというものは実は美しくないのが通例である。
  • ウソをつくには、頭脳と神経の浪費を要し、大変なエネルギーが要るので、めんどくさがりやにはウソはつけません。頭脳鍛錬法として、ウソはなかなか有効である。
  • 「これはただのお話ですよ。ウソの作り話ですよ」というのが、小説なるもののいわば看板ですが、それでも、イヤ、それなるがゆえに、読者に十分言葉の毒をしみこませることができる。小説をよむたのしみというのは、自分個人の身の上に実害のないということをよく承知しつつ、その約束の上で、思う存分たっぷり言葉の毒を身体中にしみこませてもらうたのしみだともいえます。

告げ口は流言蜚語は、恐ろしい

  • 告げ口に使われる言葉、毒をたっぷり含んだ言葉、その代り何ら証拠もなく根拠もない言葉、・・・そういう言葉こそ、われわれの見たくないわれわれの実相を、残酷に示してくれるのだ
  • 流言蜚語というものは、事実の側に立つよりも、われわれの心の中の希望や不安の側に立っていることが多く、そういう希望や不安にうまく訴えるように出来ている。これが言葉というもののもつ、幽霊的な力の代表的あらわれであります。

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