中東の大衆運動の担い手が市民へと代わった「アラブの春」

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原理主義の終焉か―ポスト・イスラーム主義論 (イスラームを知る)

 今日、「イスラーム主義」というと、アル・カイダを初めとするイスラム過激派原理主義のテロリズムに直結して想起させる。しかし2011年1月にチュニジアの「ジャスミン革命」、2月にはエジプトの民衆革命に続く「アラブの春」の大変動が起こった。それは宗教よりも、自由・人権・人間の尊厳が重視される政変として位置づけられ、今や私たちはグローバル化したイスラームの理念、行動様式、宗教や文明を深く知る必要に迫られている。
 著者は、識者や世論の「イスラーム原理主義政権の誕生」「反西欧的イスラーム復興」とやり玉にあげられる「アラブの春」の理解が正確ではないと危惧する。なぜ「アラブの春」は起きたのか、その背景と理由を正しく分析すれば、そのような解釈に至らないはずだと。
 9.11米国同時多発テロ事件に代表されるグローバル・テロリズムの経験から明らかになったことには、シャリーア(イスラーム法)に基づく国家建設を目指した政治運動の非現実性ではなかったか。シャリーアを政治制度の実定法とすることに矛盾があることが証明され、その過程でイスラーム主義運動とそれに対するムスリム(イスラーム教徒)の認識に根本的に変化が起こったのではないか。「アラブの春はそれを象徴する政変ではないか」と著者は見ている。
 1960年代のナショナリズムの後退から、80年代のイスラーム主義運動の勝利。
 90年代のテロリズムと内戦の時代。2013年1月に発生したイスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)による「アルジェリア人質事件」から浮かぶアルジェリアのフランスの支配からの脱植民地化の課題。それを負ってイスラーム過激主義運動へと傾倒していくという自虐的歴史。
 その経緯を経て21世紀のアル・カイダによるグローバル・テロリズムへと至り、イスラーム原理主義の終焉とポスト・イスラーム主義の時代へ移行する過程として理解し、本書では「アラブの春」の歴史的背景とその意味を解説していく。
 アル・カイダによるグローバル・テロリズムが衆目を集める陰で、まず、トルコに政教分離を原則とするイスラーム政党ができたことが、実はポスト・イスラーム主義の到来を告げていた。次いで1997年にモロッコで「公正開発党」が、96年にはエジプトで「ワサト党」が、アルジェリアでも同様の政治的立場を取る動きが続いた。1997年にイランでも、自由の拡大、欧米との対話、文明間の対話などを訴えた改革派のハータミー大統領の当選と選挙の圧勝という動きも同じ潮流に乗るものだという。
 1990年代後半、こうした政権の変化の派手さに隠れて社会内部ではインターネットなどの情報革命が起きていた。これが後に2011年の「アラブの春」の土壌を形成する大きな要因となるのである。
 2010年12月に起きた抗議の焼身自殺事件。それはベン・アリー独裁体制による、市民的自由の著しい抑圧で、職もなく、日常の食料品が入手できず、表現の自由が奪われた超監視国家への抗議行動の始まりだった。11年チュニジアの「ジャスミン革命」を初め、エジプトのムバラク政権、リビアのカダフィ政権の崩壊へと続く「アラブの春」。それはイスラーム主義に自らの自由を託した大衆が、結局はテロリズムと非現実の観念論に陥った失望の後に辿り着いた「青年」を代表とする大衆の怒りの表示だった。
アラブ諸国の中東の大衆運動の担い手は、これまでのイスラーム勢力から、1980年代末の東欧と同様、脱イデオロギー、脱宗教の市民へと移行した、歴史的に全く新しい運動だったのだ。

感想

2013年1月に発生したイスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)による「アルジェリア人質事件」から浮かぶ、アルジェリアの132年間に及ぶフランスの支配からの脱植民地化の課題。それを負ってイスラーム過激主義運動へと傾倒していくという歴史認識に役立った。

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