3.11の津波直後の数週間の現状

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遺体―震災、津波の果てに

釜石市の特徴

・釜石市を舞台にしたのは、町の半分が被災を免れて残っていたことが大きい。陸前高田など町ごと壊滅した場所では、遺体捜索や安置所の管理は市外から派遣された人々が行っていることが多く、彼らはその土地の地理や方言すらわからないことがある。だが、釜石では死者・行方不明者千人以上を出したにもかかわらず、町の機能の半分が津波の直接的な被害を受けずに残ったことにより、同じ市内に暮らす人々が隣人たちの遺体を発見し、運び、調べ、保管することになった。私はそこにこそ、震災によって故郷が死骸だらけとなったという事実を背負って生きていこうとする人間の姿があるのではないかと考えた。
・住んでいる人々はどちらかというと都会的で穏やかな性格が多い。海沿いのマチが漁業で成り立っている港町だとしたら、わずか一、二キロ内陸の地域は工場を中心としてつくられた工業地域なのである。「海辺のマチ」と「内陸側の工業地域」というまったく違う二つの風景が国道一本隔てて併存しているのが釜石の特色なのだ。

津波直後の夜、海に浮かぶ瓦礫に残された女性

・佐々はもどかしさを感じながらも、「がんばれ」と言いつづけた。女性は潮に乗って沖へと流されているようだ。その声は少しずつ遠ざかっていき、やがて海を閉ざす闇の彼方へ消えてしまった。

残された人

・「貴ちゃんもそうだったんだな。テレビでは復興とか何とかいうけど、俺たち地元の人間の胸のなかではまだまったく整理がついていないよな。俺は今でもずっと安置所のことが頭に浮かぶ。フラッシュバックとか言うらしい。患者さんを診ていたり、食事をしていたりすると、突然旧二中に並ぶ遺体や、明男や野中のことが蘇るんだ。今日だって何度かあった」

慣れ

・ただ、あまりに膨れ上がった遺体の数は、関係者から遺体に払うべき敬意というものを少しずつ奪い去っていった
・最初は誰もが遺体が床に横たえられているだけで慄いていたのに、数が増加するにつれて見慣れた風景となってしまい、モノとしてしか感じられなくなったのだ。  千葉は横目で関係者たちの態度の変化を見ながら、自分だけは遺体の名前を憶え、生きている人と同じように接しようと心がけた。

死者・遺族に対する思い

・遺体は人に声をかけられるだけで人間としての尊厳を取りもどす。千葉はそれを重ねることで安置所の無機質で絶望感に満ちた空気を少しでも和らげたかった。
・祖母が警察に語った話では、あの日、母親は赤ん坊を抱いたまま津波に呑み込まれたのだという。彼女は必死に傍のものにしがみついて一命をとりとめたものの、赤ん坊だけは流されてしまい、後で遺体となって見つかったらしい。  母親は死んだ赤ん坊の前にしゃがみ込み、その冷たくなった頰をなでながら、「ごめんね、ごめんね」と何度も謝っていた。

身元不明の遺体

・「そうだね。釜石の住人の多くが、未だに行方不明の親族や知人を抱えていて、心の隅に引っかかっている。だからこそ、ここにやってきて、名もない遺骨のためにお祈りをしてくれているんだ。きっとそれは故人にとっても幸せなことのはずだ」
・そして今、遺骨が寺院に納められることになり、今度は市民たちが彼らと同じように遺骨に花を供え、手を合わせ、語りかけるようになった。無数の人の思いが一つになって、釜石は新たな道を歩みはじめているのだ。  私は棚に並べられた遺骨を一つ一つ見ていった。供えられた花や果物の甘酸っぱい香りがしている。私は胸のなかでそっとつぶやいた。  みなさん、釜石に生まれてよかったですね。

感想

ボクの母校がある岩手県釜石市を舞台にした、3.11の津波直後の数週間を綴ったの壮絶なノンフィクション。
知人の名前も何人か登場しており、あまりにも残酷な現実と語り手の悲痛な思いと向き合う読書体験は、胸のざわつきがおさまらない辛い体験で、まさに歯を食いしばって読んだ。
本書のあとがきで筆者は「どの方も、この惨劇が人々の記憶から決して忘れ去られないようにとの一心で語ってくれたように思う」と記載している。決して忘れないで欲しいと思う。
過去、現在、そして今後、釜石市の方と交流のある方には是非読んで頂きたい。
よろしくお願いします。

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