フランス史教科書読本に最適の一冊「フランス史10講」

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フランス史10講 (岩波新書)

 本書はフランク王国、百年戦争から絶対王政、フランス革命、19世紀の革命と、第一次・第二次世界大戦、「五月革命」など二千年余りの激動のフランス史を1冊に凝縮した教科書読本に相応しい著作である。

 フランスの起源から絶対王政への歩みを経て、日本でも学生時代に一度は学んだ、フランス革命によるマリー・アントワネットの斬首刑と王家の没落。
 その後のナポレオン帝国の確立というフランス覇権時代。市民による「二月、七月革命」の蜂起で次々倒された王朝の歴史を紐解く。
 著者はそれらをただの通史で終わらせず、教会と国家、中間団体、名望家国家、政治文化といった観点からもフランス史を深堀りしていく。
 ここでは主に七月革命と二度に渡った世界大戦に着目したい。

 七月革命は、パリの「栄光の三日間」であっけなく決着した。学生、労働者、市民がパリ市内にバリケードを築き、軍隊との戦闘が始まるが、兵士は市民側に同調し、ブルボン宮はたちまち占拠された。これによってルイ・フィリップを王とする七月王政が誕生する。しかしこの「ブルジョワ」を重視した「名望家体制」も長くは続かなかった。貴族とブルジョワ間に深い溝があったためだ。大ブルジョワと反目した中小ブルジョワの共和主義者はパリ街頭における三色旗の勝利が少数の政治家に横領されたと考えた。これによって共和主義者の民衆はデモや暴動を繰り返したのである。
 第一次世界大戦はドイツ政府の突然の宣戦布告に巻き込まれる形でフランスは参戦した。戦争の長期化に直面したフランスは、国家干渉型の戦時経済に変わり、非戦闘員を巻き込む新しい「全体戦争」の姿を生んだ。
 ヨーロッパ史上最悪の戦火の渦中に遭ったフランスは、前世紀末にやっと確立した「共和国モデル」=「リベラル・デモクラシー」について市民に疑念を抱かせる政治理念崩壊の危機を迎えた。
 しかしアメリカ大統領ウィルソンと国際連盟の国際調停によって1919年6月28日フランスはドイツとなんとかヴェルサイユ条約を締結した。
 ところが第二次世界大戦は、ナチスドイツの圧倒的な強さの前に首都パリを奪われ、フランスは敗北。ボルドーに逃れた副首相ペタン元帥が組閣した新内閣はドイツと休戦協定を結び、1940年7月にヴィシー体制と称されるペタン国家主席を据えた「フランス国」と国名を変えた政権が誕生。10月になると、ペタンはその後、厄介な戦後問題になるドイツへの「協力」を始めた。だが敗北の全責任を老朽化した第三共和制の政治体制に帰することを民意が望み、老将ペタンは国民の期待を一身に背負っていた。ペタンは「自由・平等・友愛」にかわって「勤労・家庭・祖国」をスローガンとしたのである。これはフランス革命以来脈々と続く伝統主義であった。ヒトラーの「協力」要求の過剰化をも飲んだペタン。その一方で、ドイツ軍抵抗運動(レジスタンス)が散発し、休戦に反対してロンドンに脱出していたシャルル・ドゴール元仏将軍を指導者とする全国統一組織の「レジスタンス国民会議」(CNR)などが結成された。しかしフランスにとってこの戦争の終止符を打つ決定的な出来事だったのは、1944年6月6日の連合軍によるノルマンディ上陸と8月25日のパリ解放だった。
 

 著者は大戦後に続くフランス近現代史を「固定的あるいは絶対的に考えるべきではない」とし、近現代の国家の特徴を「『自由』だけでは弱肉強食となり、「平等」だけでは全体主義となる」「この相矛盾する二構成要因の関係のあり方であり、その変化の律動が、近現代の歴史となる」と結んでいる。

感想

フランス史の要所を押さえて振り返ってみると、フランスは失敗する度に過去に原点回帰し、過去有効だった政策に幾度も戻ってきたことが分かる。例えば第一次世界大戦の教訓から第二次世界大戦の開戦ではフランスはドイツを東西から包囲する古典的方法に戻り、仏ソ相互援助条約を締結したように。

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