なぜ退屈を感じるのか

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暇と退屈の倫理学

暇と退屈が構成する問題点

ラッセル・・・「事件が起こることを望む気持ちがくじかれたもの」が退屈である
スヴェンセン・・・「ロマン主義が退屈の原因」

有史以前の退屈観・・・人はいつから退屈しているのか

定住生活の開始が退屈を生む・・・環境の変化が乏しいため刺激がない。
「自分の肉体的・心理的な能力を存分に発揮することが強い充実感をもたらすであろうことは想像に難くない。そして定住生活ではその発揮の場面が限られてくる。毎日、毎年、同じことが続き、目の前には同じ風景が広がる。」

暇と退屈の違いは?

暇・・・何もすることがない・・・客観的な条件
退屈・・・何かしたいのにできない、という感情や気分・・・主観的な状態

ハイデッカ―の分類

[退屈の第一形式・・・何かによって退屈させられる・・・電車待ちなど第二形式・・・何かに際して退屈させられる・・・第三形式・・・なんとなく退屈だ]]

このあたりの展開は私には難しかったです。読んでいただいた方が良いと思います。

人間だけが退屈を感じるのか?

時間の感じ方が種族により異なる可能性・・・人間の時間感覚と他の動物の時間間隔は異なるかもしれない・・・環世界論
(要約には関係ないが、人間の知覚できる最小の時間単位は1/18秒だそうです!)

人間は環世界を他の生物に比べ非常に自由に移ることが出来る。動物も出来ないわけではない。

結論

・暇と退屈が何かを知ることで(新たな認識を得る)何かが変わる
・贅沢を取り戻す・・・楽しめるように訓練する(パーティーを楽しめるように教養をつける)
・動物になる・・・環世界移動能力を低下させられるほど、何かを思考する
人間であることを楽しむことが動物になることを待ち構えれるようにする。

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パーティを楽しめるように教養をつけるのは、心底大事だと思いますね。

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