ヒトはなぜ神を信じるのか?その心理の理論

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ヒトはなぜ神を信じるのか: 信仰する本能

神の存在はありえないとは言い切らないが、科学的観点からはありそうにもない。

というスタンスの筆者。神と宗教についてこれほどまで面白い本は無かったのではないでしょうか。久々の良書との出会い。

まず本書でキーワードとなる

心の理論

…無生物のモノに意図を見出す錯覚が進化上有利に働いたが、そのせいで何もないところにも神が生み出される。

また私たちは目的ー機能論的推理対象がただ存在しているのではなく何らかの目的があって存在している、という考えを好んでいる。
なので何の目的も無いように見える進化論より、主が何らかの目的を持って万物を作ったという創造論が、科学が進歩した現代でも受け入れられる。

私たちが自然に起きた出来事に何らかの予兆やサインを見出すのは、文化や文化を通じて獲得した概念によるものであるということを裏付ける実験が存在する。
「プリンセスアリス実験」と呼ばれるもので、5-6歳児は出来事になんらかのメッセージ性を感じなかったが7-9歳児は、メッセージを感じ取り、選択を変更した。

[死という出来事にも錯覚が入り込む。通常体は死んでも、心は死なないものとされる。141p「一切の感覚や心的体験を欠いたあの世へと自分自身を投影することが本来的にできないがゆえに、自分の心が不死であるというゆるぎない錯覚を持つようになった」]]

自分の心が存在しない状態を心で考えるのは難しいゆえの錯覚である。

この三つの錯覚(目的・予兆・心の不死)は心の理論に密接に関連している。

次に、なぜ善良な行いをする人に神が不運をもたらすのかという問題にも、心の理論を用いて解釈ができる。

非難すべき相手がいないときに、出来事の道義的責任を神に押しつけることで、出来事に意味を見出し制御されている感覚を持ちたいからである。

 実験によれば、被験者が、「川辺でキャンプを楽しむ家族が、水位が上昇して溺れ死ぬ」というストーリーを聞かされた時、
水位を上げたダムの管理人の存在をストーリーに加えて話すと、管理人に、加えず上記の話だけだと神に責任を帰す事が明らかになり、さらに家族は助かったが食事はだめになったというストーリーにすると神に責任を帰すことは無くなった。

神の存在は適応的にも都合が良い。

ヒトは誰かに見られていると思うと利己的な行動を抑制する。つまり誰も見ていなくても神という存在が見ているかもしれないという考えにより利己的行動が抑制されやすくなる。

感想

無神論者にも、有神論者にも一読をおすすめする理神論の本である。

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