サイバージャーナリズム論 「それから」のマスメディアの書評・感想

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サイバージャーナリズム論 「それから」のマスメディア (ソフトバンク新書)

新聞はどうなる?

まずアメリカと日本の新聞業界の販売収入の違いを指摘している。アメリカの新聞社はその収益を多く広告収入に頼っているのに対して、日本の新聞社は媒体の販売収入に依存しているという。
今現在日米ともインターネットが普及し、特に若い市民は新聞を読まずにインターネットにある情報ですませる傾向が強いそうだ。となるとどうなるか。「紙」媒体は売れなくなる。「電子」媒体移行の流れは避けられない。そこで日米の収益構造の違いが大きく関係してくる。アメリカの広告収入に依存するモデルでは、「電子」へ移行したとしても、広告を掲載する媒体も一緒にウェブにすれば問題がない。しかし日本は販売収入に依存している。「電子」へ移行すると「紙」という媒体を販売して得られる収益がなくなってしまう。AP通信社のカーリー氏によれば「問題はコンテナーではなくコンテンツだ」ということである。コンテナーとは情報をのせる媒体のことで、コンテンツは情報や内容そのものを指す。媒体に依存せず、その中身を重視すべきだとの考えだ。
 

インターネットビジネス、通信と放送の融合

通信と放送の融合が謳われる昨今、徐々に放送業界は通信業界となんらかの形でコミットせざるを得なくなる。この本では楽天やライブドアによるテレビ局買収騒動があげられている。
しかし著者はこのような形でのメディア企業の放送進出の動きは、本来あるべき通信と放送の融合の姿ではないとしている。そもそも通信と放送の融合は動画コンテンツのオープン化、ウェブ2.0化であり、コンテナー本位からコンテンツ本位への移行であると述べている。
本書によれば、テレビ局も現在サーバー型放送と呼ばれるものを導入し、視聴者が番組をオンラインで視聴できるような仕組みが構想されている。放送局によって番組の場面ごとにタグ付け(例えば野球選手の顔を認識してタグ付け)がなされ、見たい場面をすぐに見られたり、まとめてみることができる。画期的ではあるが、今のところ放送局は視聴者によるタグ付けを許していないようだ。ニコニコ動画などでは、あるユーザーがアップロードした動画に対し、どんなユーザーでも勝手にタグをつけて分類することができるが、それが許されていないのである。著者曰く「制作者側の発想は一意でしかなく本来の意味での多様性は持ち得ない」。サーバー型放送は新しい放送のあり方であり、新たな可能性を広げる画期的な放送形式だがそれだけに、多様な価値観を優先するのか、それとも堅実に保守的なものにとどめるのか。視聴者と放送局との相互コミュニケーションでの議論が必要ではないか。

これからのジャーナリズム

個人ブロガーであり市民記者のスポンタ中村氏は、これからの時代の新たなジャーナリストはP2P的世界において誕生すると述べている。P2P世界は中央のサーバーをもたない、より進化した「多」対「多」の構図であり、媒体となるメディアが存在しない。しかしそのふたを開けてみれば混沌とした「わいわい、がやがや」状態であるという。そしてそこは企業ジャーナリズムが支配する利益社会ではなく、知的ボランティアが参加する共同体である。その混沌状態をまとめあげるのがインテグレーター、オーソライザーであり、P2P世界の成員たちがそれらにふさわしい者を決めていく。そしてそこに生まれるのはよき競争、切磋琢磨のメカニズム、結果質の高い世論形成であると彼は言っている。

感想

P2P的ジャーナリズム空間が形成されれば、企業というしがらみもなく、かつそれぞれが知的な議論を思う存分戦わせることができる。しかし、報酬もない知的ボランティアのうち何人がそこまで自分の時間を割いて情報収集に没頭できるか。文中で森健氏も指摘しているが、ジャーナリズムを実行するには取材が不可欠で、取材には経費がかかる。知的ボランティアがそこまでやれるだろうか。
中村氏のようなP2P的世界を作り出したいのならば最低限、既存メディアの持つ取材力・資金力が保証されるような環境がなければならないだろう。そうでなければいかに鋭い感性をもっていても、パソコンに向かうだけでうまれるのはやはり理想論だらけになる気がする。現場を満足に取材もできずにジャーナリズムだなんて言えたものだろうか。
インターネットは完璧ではない。インターネットだからこそ生まれる問題も多い。新たな提唱をして、既存のシステムを叩くことは簡単だ。包括的な視点を持って、実現可能性を意識した生産性のある議論をしなければ意味がない、と感じた。
しかし間違いなくインターネットは大きすぎるほどの可能性を持っている。頭の中の想像が現実になりやすくなった。ジャーナリズムの新たなきっかけであるのも間違いはないだろう。生かすも殺すも、インターネットに触れる私たち次第である。

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