メディアが世論を決めるの書評・感想

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メディアが世論を決める

新聞とテレビー報道スタンスの違い

新聞とテレビの報道のスタンスの違いについて、筆者は次のように分析する。日本新聞協会がさだめる新聞倫理網領では”正確公正”な報道を求めてはいる が、”政治的”という文言は含まれていない。一方、テレビの放送についてさだめる放送法では”政治的に公平”な報道をテレビ局に義務づけている。この”政 治的”という文言の有無から筆者は新聞とテレビの報道スタンスの違いを見いだしている。例えば、朝日新聞と読売新聞の比較では、戦争に対する「非戦」と「主戦」という立場がはっきりと分かれている。イラク戦争時の両社の新聞記事を実際に比較していて、それを見ると見事に紙面にその立場の違いが浮き彫りとなっていた。主にその違いは、一面記事の記事や投書、社説の内容によって主張されていた。また筆者はテレビは放送法による規制と、その多大な影響力により、新聞よりもさらに客観的立場に立った報道が求められる、としている。

客観報道考察

また筆者は「客観報道」という報道の重要な課題についても言及している。客観報道とは、メディアの意志介入による情報・思想の偏りをなくし、中立的な情 報発信を行おうとする報道のあり方である。そこで筆者は客観報道を意識していても、報道対象・視点・表現の選択、取り扱いの大小などにおいてメディアの主観的価値判断は避けられないと指摘する。
しかし、メディアの主要な役割のひとつは情報を分別しゲートキーピングを行うことで情報の受け手が必要とする情報に”濾過”することである。そう考えると、客観報道にはある程度の妥協点はやむを得ないと個人的には感じる。とすれば客観報道の問題における一番の難点は、その妥協点をどこに置くか、ということに他ならないのではないか。
筆者は警察や政府などの公式発表の内容をそのまま報道する「発表ジャーナリズム」の問題に触れている。有名な例をあげると、松本サリン事件の初期報道がそれである。これは客観報道の意識が仇となって、裏を取らずに発表通りに報道してしまう体質として筆者は問題視している。
 

新聞電子化ーWebニュースの可能性

新聞記事の電子化が日本で本格的に採用されたのは1980年代。電算写植とよばれる技術を導入したことで、⑴新聞制作の高速化 ⑵物流コスト低減 ⑶記事のデータベース化=文字データの二次利用 が可能になった。そして新聞の電子化とインターネットの普及が合わさることで、webニュースという新たな新聞の形態が確立された。筆者はwebニュース の完成によって、新聞社の経営に危機を招くか、という疑問に対し、必ずしもそうではない、と答える。webニュースの普及は正確には”紙媒体”の危機で あって、紙媒体の危機がそのまま経営悪化に直結する場合には新聞社の危機にもなり得る、としている。

感想

以下、私の拙い分析ではあるが、現在、スマートホンやiPadなどのインターフェースが普及し、電子書籍が新たな市場を開拓しつつある。本も電子化しようという流れが確実に強まっている。その状況下で、新聞が今までのような普及率を維持し続けることができるか、ということには期待ばかりを抱いてはいられない。日本の従来の携帯電話、いわゆるガラパゴスケータイを追いやるほどのスマートホンの普及率は、より手軽に多様なコンテンツをユビキタスに利用したいということの表れだろう。新聞は手軽とは言いがたいほどの大きさだ。折り畳んでもかなりかさばる。持ち歩いて電車で広げて読む、という人はほとんどいないだろう。携帯端末で場所もとらずかさばりもせず、いつでもどこでも手軽に読める。新聞があまり読まれないという要因には実際その取り扱いの煩わしさが大きい割合をしめ手いる気がしてならない。携帯でメールやウェブを読むのと同じようにニュースが読めれば、「煩わしい」「めんどくさい」といった新聞のネックを取り払うことができるはずだ。新聞社は紙媒体の危機がそのまま経営の危機にならないよう、その形態を徐々に適応させる必要がある。意固地になって紙媒体にこだわり続けるのは、この情報化社会、ユビキタス社会では危険だ。より柔軟な新聞のあり方を模索してもらいたい。

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