ファウスト〈1〉の書評・感想

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ファウスト〈1〉 (新潮文庫)

 あらゆる学問を修めつくしても未だ至高へとたどり着けない事に悩むファウスト博士は魔法にまでその範囲を広げるものの、それは己の卑小さを実感させる結果にしかならなかった。
 民の信頼を集め裕福な暮らしをしているにも拘らず、それだけでは己の知識欲を満たせない彼は、彼の下を訪れた悪魔メフィストーフェレスと契約を結ぶ。彼にとって死後の世界に意味はなく、現世で自らの望みが果たされれば良いのだ。メフィストは、ファウストが満足できるような享楽を提供することを約束する。

 そうして連れて行かれた魔女の屋敷で若返りの薬を飲んだファウストは、何も知らず信心深い、14歳を過ぎたばかりの少女マルガレーテ(グレートヒェン)に声をかけ、高価な装飾具を与えて信頼を寄せさせ、言葉巧みに誘う。
 そうして、彼らの仲を邪魔するマルガレーテの母親を、眠り薬と偽って彼女に殺させ、ようやくに逢瀬を果たしてマルガレーテを孕ませ、それに憤った彼女の兄ヴァーレンティーンを刺し殺し、自らの子の宿った彼女を放置して、魔女の宴で乱痴気騒ぎに参加するのだ。

 あらためてこのようにまとめると、最低最悪のロリコン性犯罪者である。ただファウストには罪を被せる先がある。全ては悪魔が彼を惑わしそうさせたのだ、と。ファウストほどの知識者であろうとも、欲望をえさに惑わされれば、それに抵抗することはできない。
 グレートヒェンは我が子を池に投げ捨てて殺し、獄中にて斬首を待つ身となる。ファウストは彼女を助けようと、獄中に侵入して彼女を説得するのだが、ついに彼女は彼の中に悪魔を見出し、神にその身を委ねることを決意するのだ。

感想

 この部分だけを見れば、救いのない悲劇である。しかしその前に、第二部と同時に付け加えられた、冒頭の神と悪魔の対話のシーンがある。その中で神は、人間は生きている限り迷うものだが善い人間はその正道を見失うことはない、と、救いがあることを示唆する。

 何も求めず、自分の枠におさまっていれば、それはそれで知らないなりの幸せを享受できる。それは十分に満足な生活だろう。しかし、新たなものを知ろうとしたからこそ得られる幸せもある。逆に苦しみもある。
 グレートヒェンのセリフの一節を抜粋してみよう。

ほんとによその人の罪を責めるのには、
言葉がいくらあっても足りないくらいだったのに。
人のしたことがきたならしく思われて、
そのきたなさがあたしには物足りなくて、その上さらに泥を塗ってやりたい気持だった。
そうしてあたしは高見の見物で、偉そうにしていたんだけれど。
それが今ではそのあたしが罪にまみれている。
だけど―――こうなるまでの一切合財のこと、
まあなんてよかったんだろう、なんて嬉しかっただろう。

 人間観察のひとつの極致だし、現代でもこれは通用する。ただこのセリフを、男に騙されて捨てられる女に言わせているところがなぁ、なんとも。ただ、ファウストはまだ、この境地には至れていない。そんな劇作品。

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