議論の中で陥るドツボのパターンと対処法を解説

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議論のルールブック (新潮新書)

感情論対策

賛成多数=正しいではない
感情的な発言を問題にするな
発言の意図を曲解するな
相手に取って聞く価値があると思えるように話す
わからなければ聞いてみる

インチキ理論対策

インチキ理論に対し「間違っている」と反論することは危険
「間違っている」ではなく、「まだ足りないところなある」

冷笑主義者

議論の混乱が目的であり、同じ考えの人がどれだけいるかが重要なため、論理や証拠を示しても無駄である。
だからといって彼らと同じやり方で対抗してはダメ

議論で得られるものは「違う視点」

討論は自分のためだけにするのではなく、観客のためにするものである

多数決で決めていいのは、どれを選んでも明確な優劣がない場合のみ

客観性とは物事が自分の外に厳然と存在し、自分の観察によって変化することがないという認識

議論では「分かる」というのは「納得できる」という意味

「この世には科学で説明できないこともある」というフレーズを使う人は科学を盲信している
まともな科学者は、科学らこの世の一パーセントも説明できないと思っている
科学はなんでも説明できるどころか、説明できるこもが最も少ないやり方である。
この謙虚な姿勢こそが科学を科学たらしめている

ほとんどの場合、問題の答えは「時と場合による」。
しかしこれは議論の結論ではなく、むしろ出発点である。
答えが時と場合によることを前提とした上で、どういう場合にはどういう答えになるのかを順次挙げていく。それを全部合わせたものが一つの答えである。

日本人の「自由」の捉え方として、人の迷惑を省みず何でもやるというニュアンスに感じてしまう根底にはムラ社会的な考え方がある。
西洋的考えの根源には、自由とは、自分の行動を自分の意志で選び取れることを指す。自由とは人間のアイデンティティ、「自分が自分であること」に関わる重要な問題である

日本人では、「日本人としてのアイデンティティ」というように何かに所属していることを重要視する傾向にある。
それはまるでマトリックスのエージェントスミスのように、日本人全体が一つの生命体であって、個々の人間はその手足に過ぎないという認識だととらわれてしまう。

自分に対するすべての批判は、いったん自分で考え、正しいと思ったものだけを受け入れるようでなくてはならない。

間違いを認めることは重要だが、謝罪はいきすぎ。罪ではない。

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