日本が原発をやめられないのは、日本人の知性が貧困なためである

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原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)

原発依存をやめられない日本の構造的欠陥を洗い出し、エネルギーシフトによる新しい社会システムのあり方を提示する。

原発を選んだ日本人/変わらない社会と変わる現実

★原発推進を止められない社会構造について。まず“原子力ムラ”内では原発以外の選択肢がありえない。経産省は現状のエネルギー権益維持に必死。政治家は官僚をコントロールできず知識も足りない。

★70年代に世界的な環境主義が起こった。だが、日本では環境汚染が発生しても、局地的な公害問題に矮小化。経済成長を優先してしまう。

★80年代に入ると欧州では、市場原理を活用し環境保護を政策に組み込み始めた。しかし日本は、表層的な対応に終始し現在に至る。

★国民や政治の思想的貧困が、先進国に置いていかれた理由でもある。例えばスローフードやメディアリテラシー運動はそもそも、合意による“社会的な”選択だ。しかし知識社会の概念がない日本人は消化できず、“個人の”ライフスタイルに止まった。

★安全基準が厳しくなりコストが高騰する原子力から、今後コストが下がる自然エネルギーへ。この移行が現実的なのは明らかだが、誰も原発推進が間違っていたと言いだせない。

★自然エネルギーは成長産業。欧州では2050年に100%自然エネルギーへ移行できるとの試算がある。だが、乗り遅れた日本は時代に逆行して化石燃料と事故続出の原発に頼るしかない。完全な負け組だ。

★日本の社会は「変わらないこと」を望み、齟齬には目を背けてしまう。だから原発を批判してもまともな議論にならない。

欧州の自然エネルギー実践/原子力ムラ

★チェルノブイリを経た欧州は、知的蓄積をベースに自然エネルギー政策へ転換。リスクを利益に変えた。一方、日本は知識ではなくムラ秩序の雰囲気で動くため、方針が不可解。議論がないまま、懺悔や鎮魂など感情的な話になる。

★北欧では原発推進・反対という単純な二項対立は80年代に脱却した。スウェーデンでは窒素酸化物に課徴金を導入し、排出量を減らすことに成功。知をベースに法整備を行い、市場原理を利用して政策を実現させた。日本はこれができない。

★原子力ムラは2000年の電力自由化論争時、原発の安定運営を理由に既得権確保を主張。04年六ヶ所村再処理工場問題では、粛清人事や電力ムラの圧力で推進。そのたび経産省では反対派がパージされ推進派のみが残る。

★知の蓄積がある欧州では、原発事故に敏感に反応。一方日本では、脱原発=左翼・カルト、のようにレッテルを貼るばかりで、まともな議論すら始められない。極めて残念だ。

★経済的に豊かでないと幸福度が下がるというのは嘘。いずれ経済規模は縮小する。その上で幸福度を上げる、新しい社会システムの合意形成が急務。

自然エネルギーによる共同体自治と、その実践

★官僚に依存せず、国民が行政を使いこなす“共同体自治”への移行を提案する。エネルギーも、地産地消のように顔が見える共同体内であれば議論が変わる。どんなエネルギーがベストなんだろう?と。

★環境政策の先進的事例は東京都と福島県。佐藤栄佐久知事の時代、福島県の原子力政策の専門性は高かった。県エネルギー政策検討会の中間報告書は必読。また東京都は、ディーゼル車の排ガス規制など世界の環境政策の先端を行く。

★東電は資産を売却すれば8兆円捻出できる。足りなければ再処理等積立金を加えて賠償に充てよ。銀行は貸し手責任で債権放棄を。東電の維持を前提とするから賠償問題が複雑になるのだ。

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