三木武夫とは何ものか?

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操守ある保守政治家 三木武夫

「議会の子」三木武夫について、同時通訳・記者・ニュースキャスター・参議院議員・大学教授だった國弘正雄氏が、これまで語られなかった切り口で描いた秀作である。これを読まずして戦後政治は語れない!

三木武夫とは何ものか?

「議会政治の子」「バルカン政治家」「クリーン三木」「保守内左翼」とさまざまなニックネームで呼ばれた三木武夫。三角大福と呼ばれる1970年の日本を代表する政治家であり、その存在感を1940年代から発揮してきた。
 三木は戦前から日米決戦を批判し、生涯一貫して「平和主義」を唱えた。与野党問わず、政界随一の理論家だった三木シンパは数多い。田中角栄と並ぶ党人政治家の筆頭格であるが、常に大派閥を歩んできた角栄と較べ、三木は小政党・小派閥を渡り歩き、そのフットワークの良さは「バルカン政治家」そのものである。また戦後すぐGHQから総理大臣を打診されたが、「憲政の常道」を理由に辞退している。このような気骨ある政治家は、自由民権運動の板垣退助以来であり、もう今後は出ないであろう。
 本書は保守政党である自民党に所属しながら、時には権謀術数を駆使し、国民目線のクリーンで革新的な政治家・三木武夫の知られざる素顔が隠されている。そして社会党にかつて所属していた國弘正雄氏が記したことも興味深い。そして、本書は夫人である三木睦子氏との対談から始まる。

三木武夫の隠れた功績

 近年、沖縄核密約が話題になった。これは佐藤内閣の時代にさかのぼる。当時の外相は三木武夫であった。三木は沖縄の本土並み核抜き返還を主張し、ジョンソン駐日大使と交渉、ほぼ三木の主張が通る方向にあった。ところが佐藤首相は、三木を更迭してしまう。結果的に建前上は「核抜き返還」が実現したが、21世紀になって沖縄核密約が発覚してしまった。最後まで三木が交渉にあたっていればと悔やまれるところである。
 日中国交樹立は田中角栄内閣の功績と呼ばれていたが、もともとは副総理であった三木と周恩来のパイプを活かしたものである。角栄は三木を主流派に引き込むために、日中国交に動いたのであった。本書ではこれら2つの三木の隠れた功績にスポットライトを当てている。
 佐藤、角栄の最大の実績も、実は三木武夫が基礎を築いたものである。さらに初代・環境庁長官として水俣病など公害病や環境問題に取り組んだのも三木が初めてだった。

戦後を代表する大物政治家

 田中角栄はかつて「政治のプロは俺と三木だけだ」と言った。吉田茂、鳩山一郎、三木武吉、河野一郎、大野伴睦、池田勇人、佐藤栄作、浅沼稲次郎、と戦後を代表する大物政治家は数多いが、政策と政局を自在に操れる大物政治家は田中角栄と三木武夫のみであった。
 庶民派の角栄と学者肌の三木。好対照の2人であったが、時に盟友として時に敵として、三角大福の時代の日本を繁栄に導いていった。しかし角栄と三木は、ともにロッキード事件という茶番劇で足下をすくわれる。三木内閣は公職選挙法や政治資金規正法の改正、防衛費1%枠の設定など、持論のリベラル的な政策を進めたが、相次ぐ「三木おろし」の影響で総選挙で敗退し、退陣することになった。

感想

 本書は21世紀以降の右傾化・ファッショ化に対する警鐘として上梓されたものである。國弘氏は平和活動家である三木睦子氏との対談を通し、三木武夫の生涯を綴りながら、徹底的に平和を訴えている。
 三木武夫は保守政党に所属しながら、日本を代表するリベラル政治家であり、もう1人の大物政治家である田中角栄にも大きな影響を与えた。勿論、野党にも三木シンパは多く、社会党や民社党なども三木の影響を大きく受けている。著者の國弘氏もアンチ自民党でありながら、三木武夫のリベラリズムに心酔していた1人であろう。
 現在の日本、世界は、新自由主義が蔓延しており、それに対峙する小沢一郎、鈴木宗男などの改革派勢力もネオコン・ネオリベによって様々な妨害・弾圧を受けている。今もし、三木武夫や田中角栄がいれば時代はどうなっていたであろうか? 今後、三木や角栄の遺志を継ぐ大物政治家が、国民本位の政治を行うことだけをただただ望むばかりである。

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