普遍的な「学び」の構造を読み解く

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「学び」の構造

本書の概要

学生生徒だけではなく、すべての人がいつも行っている「学ぶ」という行為。先生だけではなく、すべての人がいつも行っている「教える」という行為。普遍的な「学び」の構造を読み解く

第1章 学ぶ人、学ばぬ人

 ”はじめて子をもった母親は、まだ「赤ん坊」だとばかり思っていたその子が、まだカタコトさえいえないのに階段を「自分で」のぼろうとし、「自分で」あるこうとし、また「不当な」扱いに抗議し、自分の「正当な」権利を主張しはじめるのをみたとき、「いつの間にこの子は・・・」と絶句しておどろく。

 あるいはまた、その同じ子どもが、小学校に入り、あたり前と思われるたし算がわからず、こんな簡単な、と思われる漢字をおぼえてくれなくて、ヒステリーになりそうにイライラしたとき、やはりまた、「この子にとって”学ぶ”とはどういうことだったのだろうか」と思う。

 子どもは子どもで、ものごころがついてくると、「どうしてお母さんは勉強しろ勉強しろとやいやい言うのだろう。なんでこんなに苦労してまで勉強しなくちゃいけないのだろう」と思うかもしれない。お父さんに聞いても「文句をいうな」といわれるし、お母さんに聞いても「だって、ほかの子もみんなやってるのよ」というだけだし、先生に聞けば「いまにわかるよ」といわれるだけだ、と。

 いまにわかると思って大学に来てみたけど、先生はやみくもに「おぼえろ、試験に出すぞ」とおどかし、「出席をとるぞ、代返は厳罰に処すぞ」とやっきになって、意味のよくわからぬ話か、どうでもいいような話をイヤに「熱心」にやっておられる。あるいはまた、徹夜でマージャンをやっていたとき、ふと友人が(あいつはいつも遊んでばかりいると思っていたのに)キラリと光る人生の知恵をみせ、思いがけなく深い洞察を示してくれたとき、こんなときふと「一体おれたちにとって”勉強”って何なのだろう」と考える。

≪中略≫

 卒業した学生は企業に入り、いきなり「今まで勉強したことはみんな忘れろ、これからの勉強が本当の勉強だ」といわれ、けっきょくはその会社がいかにもうけるかを「学ばされる」ことがわかたとき、あるいはまた、企業の中で、予想もしなかった問題にぶつかって、生まれてはじめて自分で何か新らしい勉強をはじめたとき、一体自分は何を「学んで」きたのだろう、それが一体何になったのだろうと考え込んでしまう。

 子として、生徒として、学生として、社会人として、親として、先生として、学者として、わたしたちは、しばしば、「学んでいる」と思っていたことが実は「学んでいなかった」ことに気づき、「ちっとも勉強していない」と思っていたのに、実は多くを「学んで」いたことにも気づく。”

長い引用になりましたが、この冒頭の問題提起が、
この本を手に取るすべての人の共感を生むのではないかと思います。

以下の章立て

第二章:「おぼえる」ことと「わかる」こと
第三章:道徳(よさ)はいかに学ばれるか
第四章:機械で学ぶことはできるか
第五章:学びつづける存在としての人間

と続きます。

事例としては、決して新しくありませんが、
どの章も、示唆に富んでいます。

感想

Eラーニングやネット授業など、
これからの教育環境は、大きな変化を迎えると思いますが、

単に知識量を競うクイズのようなものや、答えだけわかれば良い
という以上に
「学ぶ」ということに関心がある方は、ぜひ読んでみてください。

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