日本のジャーナリズムと記者クラブの腐敗「ジャーナリズム崩壊」

4900views折笠 隆折笠 隆

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ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

概要

フリージャーナリストの著者が、日本のジャーナリズムと記者クラブの腐敗を批判する。
(08年7月初版)

日本にジャーナリズムは存在するか?

■日本でいうジャーナリズムは海外のワイヤーサービス(速報を打つ通信社など)に近い。海外のジャーナリズムとは批評や解説を加える存在。米の大統領選では新聞社も支持候補者を明らかにして仔細に検討・批判をする。

■政治部記者が担当政治家と共に出世することがあり、権力の監視どころか癒着が珍しくない。結果、メディアは政府のプロバガンダを垂れ流す愚を犯す。他媒体の批判を激しく行う一方で、自社への批判は圧力で封じる。

■取材漏れがないか他社と突き合わせて確認する “メモ合わせ“は横並び記事の元凶となる悪習だ。他社が知らない内容こそ取材するべきだろう。また、「~だとわかった」という記事も多い。これは他媒体のネタ盗用をさりげなくごまかした書き方で悪質。

■ニューヨーク・タイムズでは、名記者でも峠を越えれば解雇。経営陣の意向を編集が突っぱねることもある。そこにはジャーナリズムの誇りがある。対して日本は、横並びの報道協定を受け入れるなど思考停止がひどい。日本独特の「記者クラブ」の存在が問題だ。

お笑い記者クラブ

■海外記者は記者クラブの閉鎖性に驚く。首相の取材を、秘書が許可したのに記者クラブが認めず(!)立ち消えになったことも。いまや「kisya club」は世界から嘲笑される存在である。

■記者クラブは外国人だけでなく、国内のフリー記者も締め出す。理不尽な妨害をしてまで、とにかく既得権益を死守したいのだ。

ジャーナリストの誇りと責任

■ニューヨーク・タイムズの記者契約は、ジャーナリストとして成長するための補助を惜しまない。自著執筆のための休暇制度すらある。

■責任をもつために重要なのが署名制。原稿は編集主幹といえども勝手に修正できない。海外では、匿名記事は批判から逃げる卑劣な行為との認識なのだ。無署名で政治家を貶める日本の新聞に、2ちゃんねるの匿名性を批判する権利はあるのか。

■著者が以前「官邸崩壊」を出版した際の批判は、事実関係ではなく、なぜ記者を実名で載せたのかという指摘だった。お互い匿名にして論争を避けようとするぬるま湯体質が表れている。また、小説のような文体で書いたことにも批判が。ノンフィクション文体でないと価値が認められないのはおかしい。

■記者たちは均一化した大卒エリートばかり。思考回路が似ると記事の内容や視点が均質化する弊害が出る。米では記者採用に際し、あえてさまざまな経歴の人材を選ぶ傾向にある。

記者クラブとは何か

■記者クラブは帝国議会発足時の「議会出入り記者団」が起源。戦後、記者有志の親睦組織として復活したところまではよかったが、78年“取材活動を通じて”親睦をはかると見解を変更。なれ合いが始まる。

■記者クラブは情報を独占しようと、都知事の会見の数まで規制する。驚くべき閉鎖性だ。また、記者は記者クラブへの出入り禁止を何より恐れる。取材ができなくなるからだ。そのため、村八分にされないよう独創的な取材は遠慮してしまう。

健全なジャーナリズムとは

■戦地のレポートは町の記事より高い評価を受けがち。だが、読者が住む町の記事は内容が甘ければすぐバレるため、戦地の記事に劣らぬ質が要求される。つまり価値は同等だ。米ではこれを”アフガニスタン・ルール“と呼ぶ。日本は無条件で海外記事などを礼賛する傾向にある。

■海外のジャーナリズムは誤報があった場合、検証記事を組み再発防止に努める。一時は部数が減るが、やがて回復する。かたや日本は誤報記者をかくまうなど隠ぺいに終始。結果的に信用を失っていく。

■米では公人の実名報道が徹底され、圧力には戦う。ある取材で、機密情報を提供したキッシンジャーが実名掲載を拒否し、せめて“政府高官”にとどめろと圧力をかけてきた。さて、完成した紙面は間違いなく匿名だった。ただし、政府高官としてキッシンジャーの“写真”が載っていた。

■日本の記者は個人で見ると優秀だが、記者クラブに“会社員”として安住してしまった。権力とメディアの健全な関係を回復すべく、記者クラブの開放を求める。

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