日本で初めて銀行を作った渋沢栄一の名言とストーリー

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渋沢栄一 100の訓言 (日経ビジネス人文庫)

概要

日本初の銀行の創立、株式会社の制度導入、500社の企業を作った近代日本の元祖ベンチャーキャピタリストとして企業を作ってきたなど数々の偉業を成し遂げた日本を作ってきたとも言える渋沢栄一氏の本である。

渋沢栄一の グランドデザイン

世界の競合相手に日本が立ち向かうには拡散している民力を結集して高めるしかない。そのために、民間企業は政府に頼ってはならない。自ら動いて国の発展に貢献できるインフラを築かなければならない

渋沢栄一のスローガン

・論語と算盤の一致:論語に象徴される道徳並びにお金を儲ける経済のふたつを融合させることが、富を永続させる上で不可欠である。

ドラッカーの言葉

・世界中の誰よりも早く経営の本質は責任に他ならないことを見抜いたのは渋沢栄一である(1974年刊行のマネジメント)

渋沢栄一のストーリー

・1840年埼玉県深谷に生まれるが、 武士階級に生まれでない恵まれた教育環境にあったその中で支配階級に対する不満や矛盾が知識を得るに連れ大きくなることとなる。
・渋沢栄一は偶然というご縁を常に大切にした。良い運は良い人とのご縁から生じると言うのが彼の信念でした。 その良い縁を得るには自分自身が良い人にならなければならない。これが渋沢栄一の一貫した姿勢でした。
・かつて倒幕を計画していたが後に幕府の一員となる。渋沢栄一は国の発展に努めるという目的に沿っていれば手段は柔軟でいいと決め次の運を手繰り寄せた。
・使節団として、初のヨーロッパ旅行では下記のことを学んだ。

  • 株式投資の学び:現地の人間に公債か鉄道株を買えと言われ買い、大政奉還とともに、帰国の際に売り、投資収益を得る。
  • 支配階級による営業:ベルギー国王はベルギーの鉄を買って欲しいと渋沢栄一に唱える。日本では商人が卑しい存在とされていたが、堂々とやっていた。
  • 銀行家と陸軍大佐の議論:日本では金貸し商人として見下されていた存在が武士を相手に国家の行く末を語る様に驚く。
・これらを学び、その後現在の王子製紙、東京海上、日本郵船、清水建設、東京電力、東京ガス、IHI、帝国ホテル、サッポロビール、東宝、みずほ銀行、りそな銀行など500社を作った。

■100の訓言 (印象に残ったもののみ)
・毎日新しいものを探そう
・欲が無い人はダメ 。欲を持ちつつコントロールする。
・残酷な人になるな。なんとかなると思い続ける。
・信用は信念から生まれる
・知るより好く、好くより楽しむ。楽しんで挑め
・細かくこだわり過ぎるこころは元気をすり減らす。大胆さの無いものに勝利は無い。
・悪いことをしないのはいいことをするという意味では無い。
・自分の足で立って生きよ
・慣れる事に慣れるな 。マンネリから成功は生まれない。
・新しい時代には新しい人が必要だ。
・偉人は母が育てる。優秀な人材は多くは賢い母親のもとに育つ
・来訪者がいかに多くとも時間の許す限り会おう

感想

高い理想を持つ革命家はどの時代におきてもそれを実現出来ない。しかし、渋沢栄一は人生のリスクマネジメント方針を決め、「押す時は押すが引く時は引く」という対応を取り続けた。

例えば腐った日本を改革するには幕府を倒すしか無いと考えた渋沢栄一は高崎城を乗っ取り横浜の外国人居留地を焼き討ちする計画を考えましたが結局実行しなかった。

との一節には非常に面白いと思った。

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