人々はかえって自由から逃げてしまうということを示した名著「自由からの逃走」のポイントまとめ

9213viewsfever7777fever7777

このエントリーをはてなブックマークに追加
自由からの逃走 (1951年) (現代社会科学叢書〈第1〉)

エーリッヒ・フロムはフロイト心理学の立場から、社会現象を見事に斬っている。自由の使い道が分からず、人々はかえって自由から逃げてしまうということを示した名著であり、社会学の金字塔でもある。

 本書は、新フロイト派の精神分析家・社会思想家エーリッヒ・フロム (1900~80) が1941年に刊行した書物である。社会学の定番書籍であると言っても良い。

現代人はとても孤独な存在である

 近代市民革命の成果として、われわれは自由を手にすることができた。しかし「自由である」ということとは、われわれが主体的に何らかのアクションを起こし、自分の行動に責任を持つということである。しかしながら、誰もわれわれに「自由の使い方」を教えてはくれはしない。ここに現代人の孤独感の本質がある。こういった孤独感は恐怖心と言いかえてもよい。

現代人には相反する二面性をもっている

 誰でも自由に憧れながらも、以上のような特質から、何かに頼りたいという欲求を持つようになる。フロムは、「近現代の社会の機構は、人間をよりいっそう独立した、自律的な、批判的な存在にするとともに、いっそう孤立した、孤独な、恐怖にみちた存在にする」と述べている。

この二面性がファシズムを呼ぶ起源となる

 フロムは、ナチズムについてこう語る。「われわれはドイツにおける数百万の人々が、かれらの父祖たちが自由のために戦ったと同じような熱心さで、自由を捨ててしまったこと、自由を求めるかわりに、自由から逃れる道を探したこと、他の数百万は無関心な人々であり、自由をそのために戦い、そのために死ぬほどの価値あるものとは信じていなかったこと、などを認めざるをえないようになった」

学ぶべきポイント

1. 自由があり余ると不安感を覚える。
 大衆とは指導者が選択肢を与えてやらねば、自ら選び取ろうとはしない!
2. 不安感や恐怖心を解消するためには、自由であってはならないと思ってしまう。
 不安感・恐怖心と「自由」は、決して両立することはない!
3. 権威主義やファシズムは、こうした大衆心理から起るものである。
 大衆の判断には「正しさ」は必要ない!間違っていることに気付いたとしても、それを「正す自由」よりも不安感・恐怖心の方が勝ってしまう!
4. 「自由からの逃走」はファシズムの時代のみ起こり得ることではない。
 大衆の不安感・恐怖心は、集団に迎合すれさえすれば消滅する!これを帰属意識という。逆にこの現象を逆手に取れば、大衆をコントロールすることは簡単である!

非常に危険な今日の日本社会

 今日では、大衆の孤独感を癒すシステムとしてマスメディアがある。たとえ身寄りがなくても、友人がいなくても、会社で浮いた存在でも、テレビのスイッチを入れれば快適な空間を得ることができる。テレビがつくる仮想空間にいることで、一時の不安感の解消となる。
 しかしテレビもマスメディアも、既得権益側の代弁者である。娯楽として観賞しているうち、大衆は知らず知らずの間に洗脳されている。一方的に情報を与えるといことは、まったくナチスドイツと同じ手法である。ここにナチズムにも似た危険性があると考えられる。

感想

 「自由」とは本来、われわれがエンジョイするために、われわれの祖先達が血を流して勝ち取ったものであった。しかし、われわれ現代人は「自由」の享受の仕方が分からず、目先の不安感や恐怖心から、折角の先祖の遺産を権力者の手に委ねてしまっているように思う。
 自由から「逃走」している現代人をみて、市民革命の頃の人々はどう思うのであろう? 自由の使い方など、何千・何万通りもあるだろう。たった1つの「自由」さえ使うことができないわれわれ現代人。われわれは、それほど孤独な存在なのであろうか?
 われわれの命を脅かす危険なファシズムを、地球上から排除するためには、われわれ現代人の心がけ次第であると思う。孤独だ不安だと言っていても、前進できない。自分が何をしたいか自問しつつ自らの頭で考え、自分自身で答えを探す習慣をつけることだ。それはまさしく「大衆の一員」から「市民」に生まれ変わるということである。簡単なことだ。

関連まとめ

本のまとめカテゴリー


コメントを書く