宮沢賢治の哲学を分析すると

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宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)

銀河と鉄道

標本;現在には存在しないものの存在のあかし

過去;上下・左右・前後とならぶ第4の”方角”←ミンコフスキー空間
三世実有;過去も未来も現在とともに世界の内部に実在するという考え方

”透明なもの”;過去の現在する様式

模型;この場所のなかに無限をつつみこむ様式
(e.g. 銀河の模型=手の中の宇宙)

『銀河鉄道の夜』;幻想の回路をとおしての自己転回の物語
具体的な「対への愛」の獲得+喪失→開かれた「存在への愛」
世界(存在の地の部分)の外にあること→世界の内へあること

自我という罪

雨;風景に浸潤される自我の恐怖の投影⇒死
黒い男;視線に侵犯される自我の恐怖の投影⇒他者

世界の不安の客観性(∵主観の外からやってくる存在の暗闇)

自我の複合性⇒個が包摂・触発しながら,たがいに犯すことなく並びたつ明るい世界の可能性

経済社会の矛盾の客観性⇒自我を矛盾として構成する関係性(e.g. 家業)

「修羅」;嫌悪の自己像→矛盾の存在,苦悩する存在
修羅の世界に落ちる=偏在する自己欺瞞からの解放

焼身幻想

ZYPRESSEN;地平をつきぬけるもの=修羅のあり方の否定

バケモノ国の出現罪;存在の罪(¬行為の罪)

賢治の作品世界の「死」=存在の仕方を変革するための浄化の象徴
⇒「自己犠牲」

鎖=つながっているもの/拘束するもの/解きにくいもの=生命の相互依存の連鎖の象徴

自己犠牲のモラルをとりかこむ闇=「倫理の相対性(ほんたうのさいはひは一体何だろう)」の恐怖

存在の祭りの中へ

「存在の奇跡」
ヘブライ・キリスト教的な世界感覚;偏在する闇のなかをゆく孤独な光としての自我
賢治の世界感覚;偏在する光のなかをゆく孤独な闇としての自我

服装=役目の記号;賢治にとって人とのつながり方のスタイル&メディア

切実な「分身散体=”にんげんのこわれるとき”」願望;日常合理の世界と自我の彼方にむかって開かれてあることの戦慄

言葉のカプセルとしての”私” ⊂ 外にひろがる存在の地の部分(=説明のつかないもの)

舞い降りる翼

法華宗の異宗への攻撃性⇒賢治にとって家イデオロギーからの解放の根拠

賢治の資質を破綻させない交流(=魂の融合)のできる対象=児童
(∵存在の基盤を大人にゆだねたまま生きられる日々)

賢治の「倫理」の欲求=自然/生活の共同性の中への自己解放の欲求→”自然性”に至りつくこと
⇒地人;規範化された農民像

生計を家に依存→物質的な利害得失の超越⇒生活の重力の延べ払い

雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ
=生活のやすりに拮抗する主体としての身体を構築すること

一日ニ玄米4合ト/味噌ト少シノ野菜ヲタベ
=そういう身体のための最低限の装備目録

ヨクミキキシワカリ
=語られない言葉をきく力/みえないものをみる力

ヒデリノトキハ…/サムサノナツハ…
=”慢”の解体

生涯でなしうること;力及ばずして倒れるところまで到りぬくこと

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