何でも見てやろうの書評・感想

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何でも見てやろう (講談社文庫 お 3-5)

本書は、1950年代という、まだ戦後間もない時代に、留学生としてアメリカに渡り、その後ヨーロッパから亜細亜を経由し日本まで数年掛けて放浪生活を送った著者の、「何でも見てやろう」という精神で挑んだ旅行記です。

『一つアメリカへ行ってやろう、と私は思った。三年前の秋のことである。理由はしごく簡単であった。私はアメリカを見たくなったのである。要するに、ただそれだけのことであった。』

という書き出しで始まる。著者はほとんど英語が喋れないまま、面白い男だと思われたというその一点のみで留学試験を突破、初めの一年はアメリカ全土(やメキシコ)をうろうろするも、お前は不良外国人だから、という理由で約一年でアメリカを追い出される。その足でヨーロッパへ行き、一日の生活費一ドルという超極貧の中で、行けるところまで足を伸ばし、可能な限り色んなものを見に行ったのだ。
かなり面白い作品でした。著者が留学したのが1950年代なので、そもそも現代とは色んなことが大きく変わっているでしょう。だから、ここで描かれていることを、現在と地繋がりで捉えるのは無理がある。そうではなくて、当時の日本、そして当時の世界がどうであったのか、まさにそう言った点を読んでいくのが非常に面白いと思うのだ。
現代の日本で『旅行』と言えば、普通は計画的なものだ。外国に旅行に行くとなればそれはなおさらだろう。いつどこに行くのか、何を見たいのか、何を体験したいのか。そういったものを、あらかじめ『想定して』から旅行に行くはずだ。
それは結局、『イメージを確認しに行く』と言ってもいいだろう。あらかじめ行き先に対して、何らかの『イメージ』を持っていく。そして、そのイメージが正しかったことを確認する。大金を払っていく旅行というのは大抵そうだろうと思う。イメージと異なるものに出くわせば落胆するし、時には怒りさえ覚えるかもしれない。
僕も一度だけ外国に行ったことがある。エジプトに行ったのだ。僕は事前の下調べなんかほとんどしなかったけども(幹事は別の人間がやってたし、そもそもツアーだったのだ)、それでも、ある決まったイメージを持っていったことは間違いない。ピラミッドとかラクダとか、トイレが汚いとか買い物は値切らなくてはいけないとか、そういうことだ。で、やっぱり実際、その通りであった。『これがエジプトなんだなぁ』と、僕はそう感じたはずだ。
そういう旅行を非難しているわけではない。お金を払う人間が、それに対して価値を見いだせるならば、なんの問題もない。
本書で著者がやったのは、そういう『旅行』とはまるきり違うものだ。著者は、『イメージ』を持たずにそれぞれの国へ言った。いや、もしかしたら持っていたかもしれない。でも、1950年代に日本にいて、外国の情報をどれだけ知ることが出来ただろう。そういう意味で、『イメージ』を持たなかったのではなく、たまたま持てなかっただけかもしれないが、とにかく著者は先入観をなるべくもたないまま、「何でも見てやろう」という精神だけを携えて、世界中のあちこちを見て回る。
『イメージ』を持った状態で見るのと、それを持たない状態で見るのとでは、同じものを見ていてもまるっきり違った風に見えることだろう。この作品の一番に面白い点はそこだろうと思う。もちろん、そういう旅行記は実際にたくさんあるだろうと思う。しかしそれを、1950年代にやってのけた、という点が素晴らしいじゃないか。本書が出版された時、世間がどう反応したのか知る由もないけども、恐らく結構な驚きを持って迎えられたんじゃないかなぁ、と想像します。
著者は、自身が貧乏旅行をせざるおえなかった点について、メリットが三つあった、と書いています。一つは、各国の生活水準の差異が身にしみてよくわかること。『英語が通じる』ホテルにいれば、どの国へ行っても生活水準はさほど変わらないだろうけど、その国の最低水準の生活で旅を続けた著者には、その違いが歴然と分かることになる。二つ目は、お金という媒介がないから、人の親切が身にしみてわかること。そして三つ目は、二つ目と関係するけど、お金がないから一国の国民性がよく分かるということ。超貧乏旅行は、著者の「何でも見てやろう」という精神にはピッタリだったのだろうと思います。

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