物理学と神の書評・感想

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物理学と神 (集英社新書)

本書は、物理学(や化学)の歴史を概略しつつ、その過程で、『神』がどんな風に影響を及ぼし、また扱われ、また追放されていったのか、という部分を主軸に物理学の歴史を編集している作品、という感じの内容です。
まだキリスト教の力が強かった時代、自然科学は『神の存在を証明するため』に生まれることになる。しかし、天動説が排除され、また宇宙が無限であるという可能性が出てくるにつれ、『地球という特別な場所に神が存在する』と主張することは難しくなっていった。
一方で物理学は、神に対抗し『悪魔』を生み出したりしてきた。『ラプラスの悪魔』や『マクスウェルの悪魔』などが有名だが、物理が『決定論』であることが分かってくるにつれ、神はただ傍観するしかない立場に追いやられていったのだ。
そんな中で、永久機関や錬金術が研究される。これらは、神が産み出した素晴らしい世界では実現可能だろうと信じられて研究されてきたのだけど、どちらも結局否定され、神の不在証明に貢献することになった。
パラドックスの話も出てくる。パラドックスの話が神とどう関係してくるのか、正直僕にはよく分からなかったのだけど、ゼノンのパラドックスやオルバースのパラドックスなど、有名なパラドックスの話が出てくる。
量子論では、神は『サイコロ遊び』をしているとされる。古典的物理学では、物質の位置や速度が『決定論的』であったのに対し、量子論ではそれらの確率が『決定論的』であるという点で、物理学は大きな転換点を迎えることになった。『神はサイコロ遊びをしない』と言って生涯量子論を否定し続けたアインシュタインの言葉は有名である。
量子論は微視的な世界の話にしか適応できないのだけども、巨視的な世界でも『神がサイコロ遊びをしている』かのような現象がある。それが、カオスや複雑系と呼ばれるものだ。初期条件の微細な差によって結果に大きな影響を与えてしまうというこの現象は、自己相似性という特徴故にどう手をつけていいのかわからない分野だったのだけど、最近ようやく研究が進んできている。
宇宙の始まりは、神の一撃から始まったのか。宇宙が膨張しているという事実から、宇宙には始まりがあるということになったのだが、未だに物理学では宇宙の始まりを論じることは出来ない。その一方で、『宇宙は人間が登場するように調整されて出来ているのだ』という、『人間原理』という考え方が出てきていたりもする。
物理学では、『対称性』という概念が非常に重要になる。ある変換をしても不変である、というような意味だ。物理学の理論では美しく対称性が見られることが多いが、一方で、『対称性の破れ』と呼ばれる現象が、物事の起源となっているということもある。対称性というキーワードで、神に近づくことが出来るのだろうか。

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