威嚇で殺人を避ける心理
兵士はつねに本能的に、実戦に突入する前に非暴力的な手段で敵を威圧しようとする。それと同時に、味方どうし互いに励ましあい、自分で自分の獰猛さに奮い立ち、また同時に敵の不愉快な叫び声をかき消すための、非常に効果的な手段ともなっている。
マスケット銃やライフル銃を撃つという行為は、生物の本性に深く根ざした欲求、つまり敵を威嚇したいという欲求を満足させる。と言うよりむしろ、なるべく危害を与えたくないという欲求を満たすのである。このことは、敵の頭上に向けて発砲する例が歴史上一貫して見られること、そしてそのような発砲があきれるほど無益であることを考えればわかる。
象を見る
南北戦争中は、兵士が初めて戦闘を経験することを「象を見る」と言っていた。戦争という名のけもの、そして個々の人間のうちに潜むけもの。今日、人類という種の存続、地球上の全生命の存続は、そのけものを単にまともに見るというだけでなく、それについて理解し、コントロールできるかどうかにかかっているのかもしれない。
制服と敗北のプロセスとしてのセックス
征服と敗北のプロセスとしてのセックスは、強姦の欲望とその被害者のトラウマに密接に関わっている。性器(ペニス) を犠牲者の体内に深く突き通すことと、武器(銃剣やナイフ) を犠牲者の体内に深く突き通すことが、歪んだ形で結びつくことがあるのだ。
指揮官
権威を社会的に認められた正統な指揮官は、そうでない指揮官より影響力が大きい。
すぐれた指揮官
すぐれた指揮官の重要な特性は、とほうもなく深い井戸をもっていて、そこから忍耐力をくみ出すことのできる能力である。そしてまた、部下たちが彼の井戸から忍耐力をくみ出すのを許し、それによって部下を強化する能力である。戦闘での勝利と成功も、個人の、そして集団の井戸を補充するのに役立つ。忍耐力という有限の資源の枯渇は、個人だけでなく部隊全体にも見られる現象である。ひとつの部隊の忍耐力は、部隊員の忍耐力の総和にほかならない。ひとりひとりがからからに干上がってしまうと、全体は消耗しきった兵士の集まりにすぎなくなる。
距離によって質的に異なる死
航空機のパイロット、航空士、爆撃手、射手は、主として距離という要因がもたらす精神的な後押しによって、これらの民間人をあえて殺すことができたのである。頭では自分たちがどんな災禍をもたらしているか理解していても、距離のおかげで気持ちのうえではそれを否認することができたのだ。速くからなら、人の人間性を否定することができる。遠くからなら悲鳴は聞こえない。
レオ・トルストイの殺人に関する興味
私は以前から戦争に興味があった。名将軍の指揮する作戦行動という意味での戦争ではない。そうではなく、戦争の実態、殺人の実際に興味があったのだ。アウステルリツツやポロディノで軍隊がどんな配置をとっていたかということより、ひとりの兵士がほかの兵士をどんなふうに、そしてどんな感情に動かされて殺すのか、そちらのほうにはるかに興味をそそられた。
考えさせられました。。命を考える上で外せない一冊。