安心・安全のためにジャーナリズムは何をすべきか? 「原発報道とメディア」

3708views折笠 隆折笠 隆

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原発報道とメディア (講談社現代新書)

概要

生活の基軸となる「安心・安全」を確保するために、ジャーナリズムは何をすべきか。
3・11以降の原発報道を検証しながら、そのあり方を探る。

安全・安心を考え直す

日本国民が原発を選んだ時点で、そもそも「安心・安全」はなかった。

  • 推進派・反対派が相互不信の膠着状態に。具体的な対策が進まず、リスクを拡大
  • 両者が互いに譲歩して、リスクの総量を減らすよう模索すべきだった

基本財としての安全・安心を提供するために、ジャーナリズムは何をすべきか

【1】意見が異なる共同体どうしを調停し、両者を総合した新しい知見を提供せよ。

  • 以前からメディアも含め、推進派・反対派という乖離した共同体ができていた
  • 今回の事故では、危険をあおる報道と安心を伝える二派が対立
  • 共同体によって「安心・安全」の認識は異なる。これらを融合する作業が求められる
  • ハンセン病隔離のように、過度の安心安全志向は暴力になりうることに注意

【2】「知らせることこそ正義」という価値観を保留せよ。そんな単純な問題ではない。

  • 知りえた危険はすべて伝えるべき、というのは短絡的。余計な不安を引き起こす
  • ある情報を伝えることが、安全・安心にどう役立つのかを常に問いかけよう
  • つまり情報の取捨選択は、ジャーナリスト個々の世界観・哲学に関わる

【3】マスメディアのシステムに飲み込まれず、乗り越える方策を模索せよ。

  • ルーマンによれば、マスメディアは新奇さ・刺激的情報を駆動力とするシステム。倫理と相容れない
  • ソーシャルメディアやネットによって、マスメディアのシステムを再構築できないか

【4】不確実性を受け入れた上で、公共的な安全・安心の形成に貢献する道を探れ。

  • 被曝による確率的リスクの排除は無理。リスクを最小化する共生技術の醸成こそ必要
  • 「危険か安全か」という二項対立の不毛な論争に陥るな

マスメディアとネットメディア

ソーシャルメディアがマスメディアに代われないか。最近特に注目が集まるのはtwitter。

  • だが現時点ではジャーナリズムと呼べない。140字では正当な議論は難しい
  • 対立派閥同士で検証をせず、都合のいい見解だけを各々がリツイート。派閥の乖離がさらに広がるだけ

今やマスVSネットという単純な図式を越えた、新しいメディアの地図が必要。

  • 筆者は「情報量の大・小」と「現在志向・歴史志向」の2×2要素による分類を提案
  • テレビなど現在志向メディアが速報を行い、書籍やTogetter、検証型WEBなど歴史(過去)志向メディアが追って批評・検討を行う
  • 可謬主義(=誤りは不可避)を認め、マスとネットの垣根を越えて補完・検討しあうシステムの構築を望む
  • 注意したいのは、視聴者の欲望に応えようと、刺激的な情報の大量提供に走る危険性。視聴者を意識する以上、マスだけでなくネットメディアでも起こりうる

グーグルから遠く離れて

ジャーナリストの意義は、個々の「生」に寄り添い、小さな声を拾い上げる技術だ。

  • 人々の関心が高い情報の提供や機密暴露なら、グーグルやウィキリークスでもできる。それらとジャーナリストを区別するのは (1)検索では見つけにくいが、広く知らしめるべき事象をすくいだす技術(2)公益性に照らし、機密を暴露するか否かを判断する技術
  • グーグルの対極を志向する「反検索的報道家」をめざせ

原発報道活動の一つとして、組織から距離を置いた「一人ジャーナリズム」を提案する。

  • 企画から発信まで一人で包括的に行う。紙やWEB、映像など内容に応じ適切な媒体を選択

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