阿部正弘。風雲児たち 幕末編 (8)の内容まとめ

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風雲児たち 幕末編 (8) (SPコミックス)

「もちろん正気では怖くてこのようなことは言えません 私は狂人でありたいのです」(吉田寅次郎)
「開国すれば西洋と仲良くなって、お互いの国を自由に行き来できる、むろんそれに越したことはない。しかし開国は諸刃の剣でもある。国内も騒がしくなっているし内乱の可能性もある。とにかく今急いで行わねばならぬことは、この国が西洋の科学力を身につけることです。未だ科学を恐れる迷信を早くなくさねばなりません」(村田蔵六)
「わしの作った蒸気エンジンで村田様設計の洋式軍艦を走らせることができたら…わしはしんでもええ」(嘉蔵)
「登城する馬をひけ、心配いらぬ今日は気分がよいのだ、馬だー!」(江川英竜)
「寅次郎先生は3つ年下の私にも対等の立場で話されます」(桂小五郎)

村田蔵六と嘉蔵

村田蔵六とイネ

阿部正弘の評価(暫定)

先見性を持ち、政治の駆け引きやバランス感覚にも長けているが、後ろ盾の弱さのせいか計算が甘いせいか命じた命令が途中で没になること多数。韮山反射炉や浦賀砲台も途中で建造中止(外国船がいなくなるとすぐにまとめきれなくなる)部下としては、意見に耳を傾けてくれる良い上司ではあるのだがまいち信用しきれないタイプか・・・

阿部正弘の片腕江川秀竜が病死

・伊豆の戸田港でロシア人殻の設計図を元に西洋船建造。
・砲術の研究で爆裂弾をオランダ等に教わることなく完成一歩まで進める
・安政東海地震の復興、反射炉の再建などで不眠不休で働く。
・品川台場建設は途中挫折。莫大な予算をかけて役に立たない台場しかできず。
(台場建設の人足集めは侠客の親分に頼っており、やむを得ず彼らの行動を黙認せざるを得なかったのでヤクザが莫大な利益を得ただけ、という最悪の結果) 

→過労により病死。
 伊豆の反射炉は英竜の死後1ヶ月後に完成
 爆裂砲弾は弟子により死後5ヶ月後に完成。
 農兵育成・運営は江川家の子によって引き継がれる(江川家は維新後も存続し県令に)
 

水戸斉昭の憤慨と朝廷権威の影響力拡大

水戸斉昭が攘夷関係で過激発言連発。(今で言う石原○太郎みたいな)
今まではおだてなだめすかしつつコントロールしていたが、なにか一つくらいは斉昭の案を通さねば会議も行えぬということで、幕府は「毀鐘鋳砲」案(寺の鐘壊して大砲作れ)。これを幕府は朝廷にお伺いをたて、朝廷の命令という形で各自に通達。
幕府が朝廷を立てていたのは、うるさい水戸の意見を抑えるため形式だけ水戸の意向を尊重したのだが、この頃からじわじわ皇室の存在が幕府政策に影響を及ぼし始める

プチャーチン頑張る

「難民同然の境遇であり日本に感謝を示しつつも毅然たる態度で樺太に関する領土問題交渉に臨む」間宮林蔵の功績を認めつつ、ペリーの小笠原諸島交渉時と違って日本の領有は認めず。どうしても不凍港が欲しいロシアは樺太を日露アイヌ三国民の共同地とすることを提言。

→交渉中にアメリカ船来航。
 ペリー帰国→大統領条約批准書発行→あらためて使節がわずか数ヶ月。
 何年も先になると思って甘く見ていた幕府は対応できず、ロシアにも情報が漏れる

→結局日露和親条約締結
 ・下田・長崎・函館の開港
 ・領事権
 ・樺太の共同領有
 を認める。(この時点ではロシアが最も優遇されてる)

吉田松陰の野山獄学校

「みなさん学問をしましょう ここには私達がいるあなた達がいる 互いに教えあおうではありませんか。人と人の出会いほど尊いものはありません 私には知らないことがたくさんある
みなさんはひとり残らず私の師匠です!」
寅次郎はどこへ言っても教育者であった。寅次郎は最も真剣に学びかつ彼らを心から尊敬した。囚人たちもそれぞれ独特の人格がにじみ出るようになった。それぞれが平等に教師となって自分の得意分野を皆に教えた。話のあと寅次郎は必ず相手を褒め称え、誰もが互いの尊敬と大きな自信をもてるようになった。牢獄という最悪の環境で夢も希望も失っていた囚人たちをわずか数ヶ月で見事に立ち直らせた。
囚人の変わり様に牢役人は筆・書物などの差し入れをゆるし、ついには生徒となって共に学ぶようになった。この不思議な学校は1年2ヶ月続いた・・・

http://anond.hatelabo.jp/20120127182320

松前藩が再び幕府直轄領に

函館開港の利益や北方警備のため。

松前藩側としては北方警備怠慢やアイヌ人虐待の不祥事により20年あまり藩を召し上げられ返還かなって34年がたち、松前城の新築が終わった所で再び没収。ひどい(たしかにこの幕府の横暴を見ると、秘密主義になるのもわからんでもない)ちなみにレザノフ事件もゴローニン事件も直轄領時代の話

人物

高島秋帆 :幕府新設の講武所
勝麟太郎 :蘭書翻訳御用に任命
中島三郎助:浦賀奉行与力。日本発洋式帆船鳳凰丸を完成させる(後に五稜郭で戦死)
 →桂小五郎は中島三郎助に弟子入り。彼の仲介で長州藩も西洋船建造の技術を導入

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