将棋の天才米長邦雄! 人間における勝負の研究の書評

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人間における勝負の研究―さわやかに勝ちたい人へ (ノン・ポシェット)

まずは実力を養い、そのうえで、いかにして勝負の女神に微笑んでもらうか。
戦う男は、自分の力だけで勝つのではなく、運を引き寄せなくては勝てない。
まして実力伯仲のプロ棋士の世界ではなおさらである。

また、人間が何かをする場合、軸になるのは「人生観」である。
「運」「ツキ」といった不可解な力に接したとき、不可解な世界に踏み込んだとき、判断基準になるのは「人生観」だ。

将棋で最善手を見つけるのは大変なことだが、
もっと大切なのは悪手を指さないことだ。
人生も同じで、いかにして悪手の山に踏み込まずに正しい道を歩んでいけるか。
何でもかんでもやりたいことをやるのではなく、ここから先はダメだという点を明確にして、ある種の「許容範囲」を設けることも重要である。

勝負の3要素は「確率」「勢い」「運」であり、
これらが最終的な実力の差となる。

ここで、大切なのは「勢い」の裏には辛抱が必要ということだ。
年がら年中攻めているのはダメで、待つべきか打って出るか判断が求められる。
つまりは、タイミングを見極めることが出来るか、
ここぞというときに打って出るための準備をしているか、
決定的場面で勇猛果敢に打って出られるかが「勢い」である。

運を引き寄せるには、手を抜かないことである。
「自分にとっては消化試合であっても、
相手にとって重要な対局であれば、相手を全力で打ち負かす」
自分の進退に影響しないけれども、相手の気力がものすごい時に、
必死で勝とうとする姿勢が大切だ。

ところで、雑事に忙殺されないコツがある。
自分がしたい仕事、するべき仕事があるなら、
席に着いた瞬間から、必死になって取り組み始める。
すると、その気迫は周囲につたわって、雑事を頼めなくなり、
もしくは、雑事を頼むときには都合を聞いてくれるようになる。

本当に強くなりたい、勉強をしたいと思ったら、独立心つまり孤独に耐えられるような力が必要となる。
最終的に頼れるのは、自分自身なのだということがわかってないと、本当の成長は出来ない。
先人の残した業績を無条件に受け入れるのではなく、自分で挑んでみて、納得してから受け入れる姿勢が必要である。
ある局面を見て、自分の力で必死に極限まで読み、考え抜くことの繰り返し。
この将棋の勉強は、自分の力で自分の結論を出すことであり、他の勉強にも応用可能だ。

さらに「何に集中すべきか」がわかることが集中力につながる。
自分が今何をなすべきかという判断がなされていないと、漫然と時を過ごしてしまうことになる。

3人の兄が東大に行ったことについては、高校3年間で毎日7時間勉強し、昼間は学校でほとんど昼寝をしていた(?)と考えると、受験勉強に6000時間かけたと算定。
一方で自身は、中学から高校までの6年か、毎日5時間の将棋の勉強にかけたので、こちらは約10000時間となる。
マルコム・グラッドウェルの「天才!」に「一流になるためには10000時間の学習が必要」とあるが、やはりその通りだ。

また、強くなるためには、物事の好き嫌いをなくさねばならない。
人間を鍛えるときに、好き嫌いという甘えた考えは許されない。
将棋においては、弱点や苦手意識は致命傷だ。
だから、内弟子の嫌いな食べ物には、女房に言って2倍にしたという。

勝ったあと、負けたあとも大事。
勝ったあとは、自慢せずに、ちょっと笑顔を見せるくらいにとどめ、負けた人が不愉快に感じないよう心がける。
強い者は威張る必要が無いから威張らないのだ。

一方で、男が勝負に負けた後は、じっとしているに限る。
負け惜しみや言い訳をせずに怒りを抑えてひたすら耐え、
そのうえで、今に見ていろとがんばればよい。

そして、男が成長するのは、全部の力を出し切るときである。
危険を承知であえて踏み切っていくうちに、男は成長していく。

カンは一つの仮説である。
創造のためには、偶然の要素と同時に、目の付け所、カンという働きが加わわっていなければ、その偶然、いわばチャンスを生かしきることは出来ない。
カンは、努力・知識・体験から生まれ、自分の形勢判断や分析に基づいて、自分の持論という形で出てくる。
仮説を立てる訓練を常日頃からすることが大切だ。

真剣な時間があれば、その反動として、遊びほうける時間があってもよい。
このバランス感覚が「よく遊びよく学べ」の金言に通じる。
だから、遊ぶときには罪悪感を持ってはいけない。
「遊びとは仕事の影である。」
だから、大きな仕事の影は、やはり大きくて当たり前である。

将棋は、必ずどこかで泥試合になるのだが、
泥試合になれば本当の力と力の勝負になるので、
強い人ほど泥沼で戦いたがるのだ。
大山康晴十五世名人は、まさにそのような戦いを好んでいたが、これこそ自分が一番強いと思っている証拠である。

むずかしい局面においては、弱者は安易な結論を出したがり、
強者はなかなか結論を出さない。
適切に"待っていられる"ことも実力のうちで、弱い人は待ってられない。
男女の関係も同じで、惚れて弱みのあるほうが先に感情を表に出してしまうのだ。

形勢判断は大切で、これを誤れば勝負は終わってしまう。
形勢のよいときはじっと動かず、
形勢が悪くなったときには、必死で我慢して、どこで逆転するかの方策をたてる。
将棋においては、相手が間違えたときにそれを確実にとがめて逆転するのが腕の見せ所である。

"男らしさ"とは大局観であり、"理性"と"思いやり"でもある。
情と理性とは全く相反するものではないが、
その2つの対立があったときは、まず自分の情を捨て、
他の人の情と理性の両面から納得のいく方法を選べる人。
こうひとが男らしい男だ。

金銭的な意味以外で、貸し方に回ること。
これがさわやかに生きる要諦だ。
例えば、怒鳴りたいときにも、そのまま怒りを爆発させるのではなく、
我慢してニコニコしていられるかどうか。
こういう時自分の感情を抑えてニコニコ笑っていられれば、これも貸し方に回った生き方であり、思いやりでもある。

こうしたことは実力あるものにしか出来ない。
知識、能力、人格、金銭…
何か優れたところがあるからこそ、ゆとりや余裕を持つことが出来、
貸し方に回ることが可能になるのだ。

本書は、昭和57年に書かれたものだが、いつの時代も変わらぬ勝負と生き方の哲学が盛り込まれている。
米長邦雄永世棋聖は、棋士の中でもとりわけユニークな存在。
上記までの要約に入ってない、面白エピソードが本来この本にはたくさんある。
高校1年の時出会った奥さんに、プロポーズしたときの話をはじめとして、
豊富な恋愛体験を具体例にして、勝負を語る場面も多い。

恋愛も1つの勝負であり、そして勝負事ではその都度勝利の女神を振り向かせなくてはいけない。
人生という道に待ち受ける、様々な勝負の時。
戦い続ける男にとって、必読の一冊だ。

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