戦争と人殺しの心理。目を背けちゃいいけない戦争本

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戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

戦争の傷を受けるのは兵士

兵士ほど平和を祈る者はほかにいない。なぜなら、戦争の傷を最も深く身に受け、その傷痕を耐え忍ばねばならないのは兵士だから。

文明の盲点

文明は例外なく盲点を生む。それについては文明は考えることさえしない。その真実を知らないからではない、知っているからだ。帰還兵が語っているように、私たちはたしかに〈セックスについて学んでいる童貞〉である。戦闘における殺人の研究は、ある意味でセックスの研究に非常によく似ている。

戦争における威嚇行為

大声に怯えて部隊が逃げ出すというのは、威嚇がもっとも効果的に使われた例と言ってよいだろう。闘争という選択肢をとるまでもなく、敵に逃避という手段を選ばせることができたのだから。攻撃に対する反応の一般的なモデルである闘争・逃避モデルに、威嚇と降伏という選択肢を加えることによって、戦場での多くの行動が説明しやすくなる。人は恐怖に襲われると、前脳で考える(つまり人間の心で考える)のをやめてしまい、文字どおり中脳(獣の脳と本質的には変わらない部分)で考えるようになる。そして獣の心のなかでは、いちばん声の大きな者、あるいは自分を大きく見せた者が勝者なのである。古代ギリシアやローマの羽飾りつき兜も威嚇のひとつの例である。羽飾りがついていると実際より背が高く見え、手ごわい敵に見える。まぶしく輝く甲胃を着ていれば横幅が広く見え、はつらつとして見える。近現代史において、こんな羽飾りのたぐいがもっとももてはやされたのはナポレオン時代である。兵士は色あざやかな制服を身につけ、高く突っ立ってかぶりにくいシャコー帽をかぶっていた。その目的は、実際よりも背を高く見せ、手ごわい敵だという恐怖感を与えることにほかならない。

殺人の対象における社会的距離

ナポレオン時代以前の戦闘では、ほとんど例外なく、槍またはマスケットの先を見つめる農奴は、そこに自分とそっくりの哀れな農奴の姿を見たものだった。その鏡像のような敵を殺す気になれなかったとしても無理はない。そういうわけだから、古代史における接近戦の殺人の圧倒的多数は、戦闘員の大多数を構成する農奴や小作農が行ったのではなかった。戦場で真の殺人者だったのは、精鋭集団、すなわち高貴の人々だったのだ。それが可能だったのは、なんといってもやはり社会的距離のおかげだった。

ゲームセンターでの条件づけ

ゲームセンターでは、子供たちは口をぽかんと聞けて立ち、しかし機関銃の向こうの画面を一心に見つめて、そこに飛び出す電子の標的を撃つのに熱中している。引金を引けば手の中で武器が振動し、けたたましい音を立てて銃弾が飛び出す。狙った〈敵〉に命中すればばったりと倒れ、血や肉の破片が飛び散る。

子供の代

いま問われるべきなのは、親たちが持ってゆかなかった銃を、なぜいまの子供たちは学校に持ってゆくのか、という問題なのである。

感想

非常に面白い本だった。500ページにもわたるが、非常にいろいろと考えさせられた。性や死、戦争とは。なぜ人同士が殺しあうかなど。非常に濃い内容だったので読むことまじでおすすめでします。

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