物理学とは何だろうか?マクロからミクロへ

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物理学とは何だろうか〈下〉 (岩波新書 黄版 86)

本書のポイント

 著者の急逝によって、この本にどのような結末が用意されていたのかは永遠の謎となってしまった。しかしそれでも、この本を読んでおく価値はあると思う。
 まずは上巻から読んでみると良いと思います。

マクロからミクロへ

 化学実験の発展により、化合物の生成比が整数であることから、物質の構成要素が存在するのではないかと考えられるようになる。そして、気体の研究から分子の存在が明らかになってくる。この分子が、熱の起源として注目され始めるのである。
 気体の分子運動論では、熱は分子の運動エネルギーであり、圧力は分子が壁に衝突する際の力であると考えられる。つまり、熱学における現象は、初めの条件を与えれば、分子の運動方程式を解くことにより明らかにできることになる。しかし、ここで問題になるのが分子の数である。空っぽの牛乳パックの中に入っている空気でさえ、0が20個以上並ぶような膨大な数の分子を含んでいるわけで、分子1個1個の運動方程式を解くなどということは、一生かかっても出来るわけがないのである。

見えない世界を見通すアイデア

 ここで、新たな着想を物理に導入したのがボルツマンである。そもそも、熱の問題を解くのに分子1個1個を個別に考える必要はないのである。なぜなら、温度計にしろ、圧力計にしろ、分子Aがぶつかったから圧力を受けた、などと感じるわけではなく、ともかく何かがいっぱいぶつかったから圧力を受けるわけである。そこでボルツマンは、空間を見えない小さな箱に分けて考えることにした。同様に、分子の速度もある間隔ずつのグループに分けた。例えば、秒速280~290m/sのグループや、秒速290~300m/sのグループという具合である。

 分子は自由に動き回るので、その箱から自由に出入りする。しかし、実験的に同じ温度では気体は同じエネルギー持っているので、この保存則も満たさなければならない。そこで、ある小さな箱の中にいる分子は、入れ替わったりはするけれども、速度のグループの割合としては変わらないという仮定をしたのである。例えるならば、あるアパートの201号室には60代の田中さんと40代の鈴木さんが住んでいたのだが、いつの間にか入れ替わって、60代の加藤さんと40代の佐藤さんが住むようになったという感じである。住む人は変わったが、201号室は60代1人と40代1人という構成は変わっていない。このような仮定を置くことによって、ある温度において分子がどのくらいの速度でどこにいるかという分布を考えれば、真面目に運動方程式を解かなくとも、物事を説明することができるようになったのである。

旧勢力からの抵抗

 しかし、このようなある種突飛な考えが簡単に受け入れられるわけもなく、おそらくもともと神経質だったボルツマンは、マックスウェルなど援護射撃をしてくれる物理学者もいたのだけれど、マッハなどにボロクソに言われ、鬱になり、自殺してしまうのである。それはさておき、物理学は、自然現象を説明する法則を見出すという方法に加えて、仮定を置き、それを確かめる実験を行うことにより証明するという方法を得たことになる。

総括

 本書は、著者の他界により、ここで未完のままに終わっている。しかし、おそらくはこの後に続くはずだった議論を予期させるものとして、「科学と文明」という講演の議事録が掲載されている。
 物理学の扱う対象は自然現象であり、それ自体に善悪の区別はないが、物理学を扱う者は人間である。前述したボルツマンとマッハの関係ではないが、最終的には正しい主張をする者も、中途では無理解や中傷、攻撃を受けることもある。ナチスが核を持つのでは、という恐怖は、現実に原子爆弾を生み出してしまう。著者がこれらの事実を受け止め、どのように考えていたのかを知る方法は、もはや永遠にないのである。

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