「ノイズ文化論」とは何なのか

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東京大学「ノイズ文化論」講義

【要約・エッセンス・あらすじ】(amazon 内容紹介より)

「美しい国」「品格ある国家」「格差社会」の陰で排除される〈ノイズ〉とは、なにか。
大好評「80年代地下文化論」に続き、宮沢章夫がまたも東大駒場キャンパスの密室で悩み、思い出しつつ語る「見返りのない講義録」。

ゲスト
岡田斗司夫(オタキング)/原宏之(バブル文化論)/土屋敏男(元・T部長)/足立正生(幽閉者)

【目次】(★はおすすめ)

第1回  「80年代地下文化論」からあらためて考えたこと
第2回  酒鬼薔薇事件とニュータウン
第3回  対談1 「オタクの終わり」(ゲスト・岡田斗司夫) ★
第4回  えーと……なんの授業をしてるんだろう
第5回  やむにやまれず「外部」に逸脱してしまう者たち
第6回  対談2 「月収一000円の幸福」(ゲスト・腹宏之)
第7回  「異形なもの」に対する眼差し
第8回  それを「ノイズだ」と言うなにものかがいる
第9回  対談3「漂白されるテレビ」(ゲスト・土屋敏男) ★
第10回 少数であることによって不当に排除される者たち ★
第11回 ひどく現在的な貧しさについて
第12回 「排除されたなにものか」にも、つよい純粋さがあるかもしれない
補講  ノイズとしての人間――『幽閉者』をめぐって(ゲスト・足立正生)

【要約・エッセンス】

<ノイズ>というのものはそもそも異物のようなものであり、なにか「純粋なもの」や「美しいもの」を作ろうとした際に排除されていくもの。
「排除されたなにものか」にもやはり強い純粋さがあるかもしれない、それ自体がべつの美しさを帯びるかもしれない。

ノイズはさまざまな姿をして人の前にあらわれ、そして人はけっしてそれを完全に排除できるわけではない。
人が存在するということは<ノイズ>が存在することと同義である。
なぜなら、人の内部の奥深いところに、そもそも<ノイズ>は存在しているから。

フジテレビとライブドアの一件で、テレビ側がなんて言ったかと言うと、「テレビは公共性があるんだ、だから会社を取るとか取られるという話になったらそれはテレビにそぐわないんだ」と。
ところが、短絡的にテレビの公共性を強く言うと、「どこからも文句が出ないテレビ」になり面白さが失われる。(※ノイズ排除の一例)

インドにはヒジュラっていう階級がある。
それはDNA的には男でありながらなぜか男性器がないという明らかなマイノリティであるにも関わらず神として崇められている。

マイノリティも「発見されてはじめて存在する。」

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