板倉さんは人生で大切なことをすべて会社経営の失敗から学んだ

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社長失格―ぼくの会社がつぶれた理由

会社経営前の板倉さん

転校生のプロとは何か。それは、新しい環境に一瞬のうちに溶け込めるだけの状況判断を持ち、同時に自分の力を実力以上にしかも嫌みなくプレゼンテーションできる子供である。初対面の人聞をあっといわせて、自分の昧方につけられるのが、転校生のプロだ。そのプロになりきれない転校生は、往々にしていじめられっ子になる。

当時はもっぱらバンド活動に打ち込んでいた。ぼくが凝っていたのは、音楽活動ではなく、むしろプロモーター活動の方だった。地元のバンドを数組集め、会場を押えて、チケットをさまざまなコネで売る。友人関係の広さと押しの強さもあって、ライブの後は、数十万円の現金を手にしていた。

「目立ちたがり」で「人真似嫌い」の人間にとって最大の弱点、それは「おだてに弱い」点。

大学入学の代わりになぜか早々と就職してしまったぼくは、初任給が振り込まれるのを待って友達の下宿を引き払い、経堂のアパートに引っ越した。

失敗から学ぶこと

企業というのは、経営の脇の甘さから簡単に崩壊するものだ。今では、ぼくにもそれがはっきり分かる。やれナスダック公開だ、米国進出だと浮かれていたのとちょうど同じ頃、ハイパーネットの経営には早くも暗い影が立ち込め始めていたのだ。

規模の小さなベンチャー企業の場合、たった一人の社員の存在が大きな意味を持つことがある。だからこそ、優秀な人材に逃げられるのは、経営者として最大の失態の一つだ。そして、ぼくはその失態を犯してしまった。中山は社内で数少ないぼくに苦言を呈することのできる男だった。しかしもう遅かった。

おれはアスキーではなく、浜田さんその人と仕事していたんだ。企業ではなく、個人と仕事をしていたんだ。けれども実際の契約は、ぼくと浜田さんの問で取りかわしていたわけでは、もちろんない。あくまでハイパーネットとアスキーが契約していた。

ぼくは勘違いしていた。国重さんは親しい仕事相手ではあったが、「友達」ではなかった。いざとなれば、国重さんという「個人」から、住友銀行取締役日本橋支店長という「企業人」に、チャンネルが変わるのだ。個人の感情と企業の論理。どこでどう線を引くかということが、ぼくにはわかっていなかった。会社勤めをしたことがなく、「組織」というものに対する本質的な理解がなかった。

おれはもしかしたら、経営者に向いていないのではないか?社長という肩書きを持って一五年。ぼくは年が明けて以来、ときどきこんなことを思うようになった。あまりに多くのトラブルが続いていた。一つ一つには個別の原因があったが、それらを同時期に招いたのは、やはりぼくの経営責任だ。

九七年から、日本の銀行の聞で、自己資本比率の低さが問題となっていた。ビッグバンに伴う市場開放の動きの中、自己資本が相対的に少ない日本の多くの銀行は体力的にも生き残っていけないだろうというのである。
そこで、「早期是正措置」という制度がこの年クローズアップされた。この制度は金融システムの健全性を確保するため、銀行に一定比率以上の自己資本比率を義務付けるものだ。達成できない銀行は大蔵省から業務改善の指導を受け、最悪の場合、業務停止命令を受けるという。実際にスタートしたのは九八年四月からだが、すぐに対応できるわけではないから、九七年時点で各銀行は、自己資本比率の向上にやっきになっていた。
とはいうものの、不況の中、自己資本比率算定の割り算の「分子」になる自己資本を増資などで拡充するのは至難の業だ。そのため、銀行は「分母」の総資産、とりわけ貸出債権を圧縮しようと必死になったわけである。そう、これが貸し渋りの正体だ。そしてぼくのところから銀行がみな逃げ出し始めた根本的な原因なのだろう。住友の撤退は、いわばその引き金となったわけだ。

感想

ハイパーネット社長板倉さんの自伝。会社が潰れた理由が鮮明に描かれています。小説よりも体験が伝わってきます。才能がある人でも失敗をするので、私みたいな凡人はもっともっと失敗から学んで次に活かすすべを身につけたいと感じました。社長が書いた本は本当に面白い本が多いですね。

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