寛政の改革。風雲児たち (10)の内容まとめ

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風雲児たち (10) (SPコミックス)

「部屋からでないで食い物だけを待ってる奴は乞食だ お互いに見せあいっこするんだ 腹の中までとことん」

歴史の教科書では善政と呼ばれることもある寛政の改革。今の時代から振り返るならば、それは市民と乖離した武家の常識がむき出しになった反動政治だった。しかし当時はそれが正義とされた。

寛政の改革 =無駄な締め付けで経済・文化ともに衰退

すべての政策が、農工商を敵もしくは愚民とみなし、発展を阻害することに執念を燃やす。世の動きをほとんど把握せず、吉宗治世時の武家秩序の維持だけを考えていた。「空想的政治」。

・倹約の域を超えた思想・風俗の統制。上は将軍のS○Xの回数から大奥の日常まで管理。下は子供のおもちゃや服装まで禁止。

・経済を無視した倹約を美徳などで推し進めるとどうなるか。経済的に考えると絹などをゼイタク品として取り締まることは全く無意味である。せっかく切れる絹の着物が無駄になり、みんなが木綿の着物しか着れないとなると、木綿の値段が高くなるだけ。「有り金はたいて質素な服を用意する」という間抜けな状況になる。それを観て武士は町人の服装が地味になったといって喜んでいたのだ。

・考えなしに倹約を推し進めると、商品の流通を阻害する=「失業者の大量発生」。まず絹を作っていた農家は大打撃を受け、失業者が続出した。全国の歓楽街は取り潰され、多色刷り版画や浮世絵師の制限。メディアも衰退。娯楽本禁止・風俗を乱す本は禁止・政治を風刺する本は禁止・外国を紹介する本は禁止としたから、新刊がでない。

・寛政異学の禁。朱子学以外の学問を一切禁止。朱子学以外の人間は政治に参加できなくなった。(江戸時代は経済的には封建制と呼ぶに値しない実態だったことは武士の家計簿まとめで書いたけれど、故意に歪曲された朱子学によって極めて窮屈な身分制度が形式的に維持された。)医学についても幕府直営の医学館を出たものしか国家資格が得られないことに。蘭医は一切禁止、漢方医学のみが教育。
白河藩では13歳以上の教育を禁止するなど、傲慢な身分意識の塊であった

・自らの政策で大量の失業者を生み出しておきながら、政治の責任をみとめずさらなる取締で対応。「人返し」で庶民を江戸に返して強制的に百姓仕事をさせ、しかも米の作物しか許さない(天明の飢饉から何も学んでいない・・・)、博徒や無宿者を捕まえては人足寄場や佐渡金山で強制労働送り(ニート弾圧)

・さらに武家優遇策として、一方的な棄捐令を発し、すべての大名・公家の家柄大全集を作らせ、実力があっても家柄が悪いものを政治に参加させないようにした。彼のせいで長期間幕府の人材が枯渇。
物価の引き下げ令や災害に対する備えなど、市民の助けになる政策もあったが、これも商人の都合を考えず一方的に負担を強いる形に。

・最悪だったのは国家機密法を軸とした隠密政治。自分自身が陰謀によって田沼を失脚させた(&自業自得とはいえ、老中主席の座を得るために協力を仰いだ一橋家の介入を常に受ける立場にあった)ことから、非常に猜疑心が強かった。理解出来ないものや疑わしきものを監視し罪をでっち上げて処罰するなどして、「恐怖政治」を行った。

後から見ると、ほとんどが時代を逆行した政策であったけれど、この当時現在のような経済を中心としたものの考え方はなかったし、異論を訴える手段事態が禁止されていた・・・。事態が悪化しても誰も彼を止められなかった。権威主義的政治・学者の声を遮断する政治とはこうなりがち。

※風雲児たち、では何一つ良い所がないように描かれているが、囲米、七分積金などそれなりに評価されている経済対策も行なっている。災害続きで不安定な政情下で、強いリーダーシップを発揮して数々の政策をスピーディに断行して秩序を取り戻したことや、武家の復権を目指した点などが当初は庶民にも評価されていた。(どれも時代遅れの対処療法であり、長期的に見るとマイナスが大きいものが大きく、次第にボロがでて失脚するのだが・・・)

アイヌの乱

・御三卿生まれの定信の観測範囲は江戸の安泰だけであり、オランダもロシアも蝦夷も全く考慮されていなかった。林子平の献策もスルー。そうしているうちに「アイヌの乱」が発生(別にまとめます)
 

大黒屋光太夫たち神昌丸一行

アリューシャン列島→オホーツク→ヤクーツク→イルクーツクへ(13名→6名)
ラックスマンと出会い、つてで帰国請願のためペテルブルグへ(6名→4名)
「開国までのロシアと日本の関係の歴史」は別にまとめます

林子平 「海国兵談」出版のための取り組み

資金調達のため数人の友人に世話人となってもらい、
彼らの仲介で予約を取り、前金を版木費用に宛てる。

その他

高山彦九郎    :逮捕→釈放後日本神道に埋没
青島俊蔵・最上徳内:逮捕→徳内は釈放。俊蔵は獄死。
蒲生君平(寛政の三奇人の一人)
フランス革命

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