カーニヴァル化する社会の意味

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カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

「明確な動機、目指すべき理念、依拠すべき統一的な物語を欠いたまま生きる私たちの生と未来は、果たして幸福なのか否か?歴史意識を欠いた生が所与のものとなっている人々の視線からは何が語りうるのか?」
「私たちはなぜ、ありもしない何かに向けて必死になり、突然空気が抜けるように萎えてしまうのか?」問題の所在はどこにあるのか?

日常の祝祭化と、近代が前提にしてきたものとは違った自己モデルの要請

情報不足に伴う噂の拡大とインターネットの祭りの共犯性。日常生活の中に突如として訪れる、歴史も本質的な理由も欠いた、ある種度を過ぎた祝祭。この日常の祝祭化の中を生きる私達のライフスタイルも、これまでの近代システムが前提にしてきた確固たる自己像とは全く異なった種類の自己モデルを要請しはじめている。

→若者の「祭り」にたいする右傾化や戦後民主主義批判という大人たちの指摘は的外れ。それは近代的自我を前提にしたものであり、その前提自体が崩れているという事実が議論の対象

フリーター問題

http://anond.hatelabo.jp/20120114111035

データベースに支えられる自己

自己イメージがテクノロジーとの共犯関係の中で形成されていく。私たち自身が望んで私たち自身を監視するようになる、監視社会化と呼びうる事態である。監視社会では、人々の自発的な服従こそが、彼らをして主体たらしめる。

人にまつわる情報を監視し、蓄積して置かなければ、様々なコミュニケーションに支障を来すようになってしまった。

(島宇宙化の話について)

(リベラリズムより無責任なリバタリアニズムが促進されるという話について)

監視社会によって「知性はDBによって外部化され、そのかわり個人の内面における感性の水準が前面化する事態が進行する。感性によってあらゆる選択の根拠を創出する個人が誕生する。

データによって問題を特定し、そうして発見された対象について個別的に処方箋を提示しようという振る舞いは、監視社会化も含めた高度に情報化された社会においては容易にデータをめぐる情報戦を呼び出し、結果「なぜその問題がその方法で解決されなければならないのかという問いを封印してしまう」

情報化された通信手段の普及は、他者とのコミュニケーションを志向すればするほど、実際には自己完結的なコミュニケーションへと人を動機づけている。対人関係が、その人にとってどのようなものであるかという情報もDBに登録されるからである。DBとのやり取りの中で自足する人間関係へと友人関係が閉じられていく。

現代においては、反省ではなく再帰が個人化を特徴付けている。つまり私が私であることの確信となるような内的メカニズムは欠如しており、個人とは他者との関係の中でころころ変わる「知られてる私(キャラ)」の集合に過ぎなくなっている。しかもそのキャラを統合する自己イメージが乏しい傾向にある。一貫性が困難。

以上が「感性の水準へのフックを駆動原理とする、継続可能性を欠いた瞬発的な盛り上がり=祭り」が、人々の集団への帰属感の源泉となる理由。共同体でなく共同性へ。「自己目的化する感動」へ。

カーニヴァル化する政治・経済

社会化→個人化→カーニヴァル化(or動物化?)を経て、現在はカーニヴァル化とデータベースの共犯関係こそが私たちを支える社会を記述する枠組みになりうるのではないか?

近年まで危惧されていたのは「サイバー・カスケード」(多くの人々がネットを通じて一斉に同じ主張に傾く)や「デーリーミー」(自分の好きなものだけを見ることができる情報パッケージへの依存)であったが、マスメディアが反省的な審級としての資格を喪失していくことにより、より個人化が進む。(12年はマスじゃなくステマになったね!)

これが「ネタ消費」とでも呼べるものに変わっていく。ネタ消費はデータベースからのネタの引き出しによって自足するというコミュニケーションの様式(顕著なのがニコニコ)

「絶望の国の幸福な若者たち」への導線

(データの間違いを正すことによる啓蒙や政治経済的なデータからこぼれ落ちる市井の人々の実感は絶望の・・・に委ねられる)
社会の外的な水準での分断について語られる様々な批判や処方箋が、自己の内的な水準での分断を前提とするとき、重大な機能不全に陥ると考えられる。

動物化を時代の象徴として語るとき、そこには現在の自己を否定しながら社会を変えていこうとする運動を放棄し、自らの運命を甘受する生き物たちが、現在の私達の社会と生に最も適合的であるという結論が浮かび上がってくる。

私達の社会は、多数の、内的に幸福な、しかし客観的には搾取され、使い捨てられる大衆と、夢から覚めているが故に内的には不幸だが、セーフティネットや社会的資源を活用することのできる少数のエリートへと分極化する可能性を有している。

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