都市をつくる風景の書評

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都市をつくる風景

 「風景は社会・時代的な意義とは切り離して考えるべきだ。」様々な風景論がある中、風景学の第一人者が出した結論はこのようなものだったのではないか。「どれほど合理性や経済主義が氾濫しても、風景を捨てることは出来ないでしょう?」と問いかけているようである。

 本書は大きく、日本の風景の変遷、西欧における風景観と日本への影響、現代日本に息づく風景観、の3部に分かれている。
 第 1部は日本の山水都市すなわち自然と人工物が共生する都市が、近代化を経た現代の風景に為る過程を書いたものである。特に明治維新直後に日本に来た外国人 の、日本の風景に対する言論をまとめており、主観的に捉えられがちな「風景」というものが外部からどう見られていたかよくわかる。様々な分析を総括すると 「自然と都市の共存」という当たり前の感覚に行きつくのも説得力がある。
 第2部では都市における風景観について触れている。筆者は、西欧で発した 風景観は近代化の過程で市民の意識や都市構造が変化を余儀なくされた中、改めて人々の公共観や共通意識を持つことの大切さを再認識した結果、出てきたもの だと指摘している。王様の支配から自由になった市民が好き勝手に振舞おうとした矢先に、先祖代々受け継がれてきた街並みによって冷静さを取り戻したと。その意味で日本は非常に運が悪かった。自らの持つ風景より突如乱入した西洋文化の方が「優れている」と思ってしまったのだから。
 第3部では現代日本都市に息づく山水都市の名残を紹介している。日本は西欧に比べて街並みが整っていないという点に意義はないだろう。市民や行政が秩序立った街並みを意識しなかった結果である。一方で混沌とした様相や風景も悪くないといった考えもある。自然をそのまま残す風景も人間の手を離れた「無秩序」な ものである。これら正反対の考えはどちらかが間違いということはなく、揺れ動く双方のバランスを取った平衡点に現れるものが「風景」という言葉である、と 筆者は述べている。

 日本の伝統的な風景観は「中途半端な無秩序」という、あまり良くない形で息づいている。逆にいえば経済大国に為っても まだ、日本人は非合理的であるはずの風景を捨て切れていないということではないか。「風景」というものを今一度意識し直すことで、日本の風景は良くなって いくのではないかと思える本だった。

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