景観衰弱の序章、建築革命、整形された都市

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都市景観の20世紀―モダンとポストモダンのトータルウォッチング

 普段よく見る景色とはどのようなものか。巨大ビルや看板が溢れる繁華街、広い道路にポツンと建つショッピングモール。現在、私達は自分の住む近所以外に上記のような場所があることを知っており、テレビや写真を通してレンガ造りの城が残る地域があることも知ることが出来る。今や誰もがあらゆる景観をイメージすることができる。では、それらは一体どのように作られてきたのだろうか。

景観衰弱の序章

 1880年頃から都市景観の革命的変化の予兆があったとされている。小説家・思想家による理想都市の描写、車や電気による技術革新、鉄やエレベータの汎用化による摩天楼などである。同時に、人口増加による居住環境改善の必要から、近代都市計画と呼ばれるものも誕生している。これにより人々は、従来よりも飛躍的に大きな範囲の開発=都市を意図的に制御することを試みる。それらは後述する「モダニズム」にも繋がる。
 様々な変革が起こり始めた19世紀末であるが、一方で大衆に最も影響を与えたのは「衒示的消費」の概念、富裕層が自らの富を示す風潮である。程よく高価かつ見栄切り道具としての自動車など、上述したような新技術と結びついた上で大衆に手が届くほどには安価であるものが流行した。結果として、安易な構築物や消費物の溢れる都市景観が、当時は大衆に好まれていたという。現在も負の要因と言われる無秩序な景観は、すでにこの頃から始まっているという非常に鋭い指摘である。

建築革命

 上記の胎動期を経た20世紀初頭からモダニズム建築が激増し、現在の都市景観に決定的なイメージを刻んだ。一般には直線的、白い箱などと言われ、当時は前近代とは異なる未来的なものと捉えられていた。本来は大衆に平等に空間を作るという理念で誕生したものの、バウハウスの出自に見られるようにモダニズムは大衆に前衛的な理念を押し付けようとするものと考えられていたようだ。逆に言えば企業や富裕層に代表されるエリート層には非常にウケが良かったために当時の都市景観を支配したとも言える。加えて筆者は、第一次大戦での破壊を経ても、壊れた時のまま再建されたために都市景観はほとんど変化が無かったという非常に重要な着眼点を示す。更にやや皮肉をこめてモダニズムが誕生して即刻時代遅れになり始めたことも指摘する。これは車や電気に続く第二の新技術(テレビやコンピュータ、遺伝子工学など)が、都市景観の眺めには直接的な影響を与えないにも関わらず、旧来の景観の材料と意味が根本的に変化したことを示している。
 ここで筆者は「企業化する都市景観」なる考え方を示しているが、今なお世界中にはびこる都市景観を如実に表現しているようだ。2度の大戦により人々は都市が一瞬で破壊され、再創造されることを知った。そして新技術の広がりによって過去や空想に存在する様々な様式を持った空間を「模倣」することが可能になった。筆者はこれを景観の「商品化」と呼び、多くの人が望むままの景観を企業が好きなように作り、壊すことが可能になったことを指摘する。意味が根本的に変化したとはこういうことで、本来ある理念を共たったモダニズムは、今や都市景観を彩る一様式になり果ててしまった。

整形された都市

 大衆の為のデザインが主流になる中で洗練され、登場したのが「ポストモダニズム」である。過去の様々な様式のハイブリッドと言え、良く言えば何でもアリということだ。それを踏まえた終章のタイトルを「モダニストの市街地景観とポストモダニストの町並み」としている所に筆者の現代の景観読解法の全てが表れている。それによると巨大で高層が多いモダニスト建築は、例えばそのビルの頂点から市街地を眺めることでその現代的統一感を実感できる。逆にポストモダニスト的町並みは地上を歩いて人間スケールで感じるものに主眼がある。
 とはいえ筆者の主張は景観の多様性を褒めることにあるのではない。おそらくは「ついにあらゆる都市景観はその背景や理念から離脱した表皮となった」ということである。結論として、「我々の都市景観は最近のポストモダン建築と民間企業の開発と自治体の計画が複雑に積み重ねられているにもかかわらず、それらの目標は公衆衛生の改善以上には実現しなかった」というのである。

まとめ

 実情と見た目の乖離である20世紀の都市景観、と言うのは容易である。しかし100年前に比べて貧困や「人々が生きるのに困る状況」が飛躍的に減ったのも事実だ。そう考えれば、実情を考慮する代わりにデザインの自由を獲得したと見るのが妥当であろう。何でもいいというのはそれだけ余裕を持っていることの裏返しでもある。とはいえ未だ世界中には貧困がはびこり、富裕層は極限の贅沢を楽しんでいる。もしも「世界総中流」のような時代が訪れたら、その時こそ本当の意味でモダニズムの出番が来るのかもしれない。

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