付け焼刃の「環境」。環境と空間文化の書評

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環境と空間文化―建築・都市デザインのモチベーション

付け焼刃の「環境」

 冒頭で、末石冨太郎による「接頭(窃盗)環境学」という、現代の環境思想に対する批判が取り上げられている。今日、「環境生態学」などという言葉は無数にあるが、結局ただの生態学にすぎないというのである。とりあえず「環境」を扱うといった付け焼刃的な発想に危機感を覚え、人々が本来持っていた「環境思想と文化思想の間のクリエイティブな関係」を掘り起こすというのが本書の狙いである。

クリエイティブな空間

 本書は全5人の著者がいるが、特に上記のクリエイティブな関係に言及しているのは内藤廣と土肥真人だ。内藤は建築家であり、実作を通した環境と文化の関係について述べる。近代建築の概要と諸問題から本書のテーマに切り込む中で2つの事例を対比させている。一つは近代建築の極致ともいえる、コルビュジェとミースの「サヴォワ邸」と「ファンズワース邸」。内藤はこれを見れば近代建築の本質を知ることができ、かつどこから撮ってもカメラ映えするということを認めたうえで批判をする。絵画的な見栄えを最大限に突き詰めたものがどうも肌に合わないということだ。逆にもう一つの事例として挙げられているアアルトの「マイレア邸」に対し、学生がこのような設計をしてきたら決して高評価を与えないだろうとしつつも自分の大好きな建物だと述べている。見栄えは平凡で決して良くはないが内外の関係をうまく調和させているという。双方の違いを「切断」のキーワードで捉え、近代化が外部環境、人がコントロールできないもの、脈々と流れる時間を切断してきたと述べている。
 土肥は都市空間について言及し都市の物理的な在り方がそこに生まれた人、現在住んでいる人の心象を作り上げていくとしている。つまり利便性を最大限に追求することだけが都市の豊かさにつながるわけではなく、イタリアの都市のように不便さや非効率ともいえる環境でさえも引き受けた上で総体としての都市環境を生みだすことの良さも主張する。
 他にも環境という言葉がもともと「衛生」の概念から生まれたことを指摘する小野芳朗、周辺環境に対するストレス緩和装置としての人工物の集大成である「都市」が発展してきたことを述べる堀繁、本来は環境と空間の調和を目指す概念であるところの風景や景観が形態規制の道具にすり替わってしまうことを指摘する斉藤潮など、様々な観点から環境と空間文化に言及している。

文化と環境の境界

 環境問題を考えるとき、極論として現在の文明をリセットしてありのままの自然に回帰するという意見も見られるが、あくまでも人間の文化と環境双方が、互いの理解を基に歩み寄りを模索していくという試みが本書にはある。「自然」や「環境」を分からないものだとして理解を放棄したり排除することが、内藤も指摘するような「切断」を生むことにもなる。自分以外の人間を広義の「自然」と捉えるとそれがコミュニケーションの切断を生むことは言うまでもないだろう。かつてに比べ環境を知る技術を手に入れた人間はそれを文化とともに理解していく必要がある。

環境と空間文化―建築・都市デザインのモチベーション

環境と空間文化―建築・都市デザインのモチベーション

  • 中村良夫,堀繁,内藤廣,土肥真人,齋藤潮,小野芳朗

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