福島原発問題「原発賠償の行方」

1816views折笠 隆折笠 隆

このエントリーをはてなブックマークに追加
原発賠償の行方 (新潮新書)

概要

弁護士である著者が、感情論を排し法的な視点から原発賠償を考察。法的根拠が不在のままで行われる政策や議論に警鐘を鳴らす。

問題としては
(1)巨額の賠償金を誰が支払うか、実は自明ではない
(2)法律上の根拠を無視し、雰囲気で賠償の議論が進んでいる
(3)原発は安全だとして、賠償の法的整備がなされてこなかった

損害とは何か

考えられる損害を列挙すると

1 強制的避難生活
2 健康被害
3 不動産価格下落
4 職業喪失
5 学校へ行けない
6 農産物・水産物が売れない
7 風評被害
8 精神的苦痛

広範囲に及ぶだけでなく、被害は現在も進行中。賠償額は想像もつかない。

東京電力は「有罪確定」か

政府が5月に作った賠償の枠組みは、
(1)各電力会社が資金を出し合って機構を作る
(2)機構はまず公的資金で賠償を迅速に進める。公的資金の返済は各電力会社が行う
(3)東電の賠償負担に上限は設けない

法的根拠がはっきりしないまま巨額の金が動くのは大問題だ。一般的な感覚では東電が支払うのが当然に思えるが、法的には簡単に断言できない。

法律的検討をする

【原賠法】
・原賠法は被害者の保護だけでなく原子力事業の健全な発展を推進する目的もある。法に従えば、国民感情どおりに無制限の賠償を行うことは望ましくない。

・原子力損害の一次的な責任は事業者とされ、無過失責任(過失がなくとも損害の責任を負う)も規定されている。が、巨大な天災地変が原因の場合は免責とあり、解釈が難しい。

・事業者が免責される場合は、国が被災者の救済と被害拡大防止を行う。免責規定ができたのは、それがないと誰も原子力事業に手を出さなくなるためと考えられる。

【法の一般原則から考える】
・賠償は基本的には司法問題。だが、被害者は証拠を集めて訴える必要がある上、裁判の時間と手間を覚悟しなければいけない。そこで「原子力賠償紛争審査会」が登場する。

・賠償紛争審査会は、おおよその賠償指針(基準)を示すことで和解をスムーズに進める。とはいえ、不服であれば被害者が訴訟に持ち込む選択肢も閉ざしてはいけない。

【電力会社の倒産は?】
・可能である。第三者へ営業譲渡すれば電力供給自体は問題なし。電力の安定供給のために、電力会社を温存させる必要はない。

【株主代表訴訟】
・支払い義務がないのに電力会社が賠償金を支払えば、「会社に損害を与えた」として株主から訴えられてもやむを得ない。だからこそ、法的賠償義務の根拠は大事なのだ。

【賠償枠組みの評価】
・政府の賠償枠組みでは、実質的負担が電気料金を支払う国民に及ぶ。賠償はスムーズかもしれないが、支払い義務者があいまいなままなので法的に無理がある。

【法治主義への冒涜】
・賠償金捻出のため、国民や他電力会社に支払い義務が生じるのはまずい。浜岡原発の停止も法的根拠がない。世論に流され、なし崩し的に超法規的措置がまかりとおっている。

・東電の取引金融機関への債権放棄要請や、原発再稼働の条件としてストレステストの追加など、いずれも法的根拠はない。政府の暴走を監視し、止める必要がある。

賠償の実際を考える

・事故が収束していないだけに、迅速な賠償が大事。だが、裁判所は訴えなければ動かない。立証や費用負担を被災者自身が行うなど課題が多すぎる。

・一人ひとりが訴訟を起こすより、賠償紛争審査会の目安に従う方が、結果的にスムーズな支払いにつながる。問題は、全体で見ると低額の賠償に落ち着くことだ。

・因果関係の立証は困難だが、だから賠償しないというのはおかしい。被害を受けた人が的確に賠償されるあり方を真剣に検討すべき。

・日本は、パリ条約など原発賠償に関する国際条約に非加盟。もし他国から訴えられたら、その国の裁判で賠償額が決まってしまう。

福島の教訓を考える

・原賠法の妥当性を問うべき/安全神話によって、賠償の法的整備や議論が不十分なまま今に至った。事業者が免責されていいのか、という疑問がでてくるのは当然だ。賠償負担が少なければ、事業者は安全向上へのモチベーションが下がる。

・法治主義の意義を改めて問い直そう/事故後の政府やメディアの対応から、日本では法治主義の認識が未成熟であることが明らかになった。誰が損害を与え、誰が賠償するのかはっきりとしないままの政策は、あってはならないこと。

関連まとめ

本のまとめカテゴリー


コメントを書く