資本論 (1)のあらすじまとめ

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資本論 (1) (国民文庫 (25))

 経済学の世界は、「理論モデル」を組み立てる点に注目すれば、「仮想現実の世界」である。マルクスの「資本論」も基本的には「仮想現実の世界」そうである。ただし、「資本論」の場合、描かれているモデルは、「ブルジョア経済学の体系の批判的叙述」であると同時に体制の叙述でもあり、また叙述による体制の批判としてのモデルであった。

あらすじ

 「資本論」は、17世紀のペティから始まり、スミスを経てリカードで完成された「古典派経済学」を批判しつつ、そのカテゴリーを用いた資本主義それ自体の批判を基礎づける体系であった。近代市民社会の矛盾を指摘し、その超克を模索してきたマルクスが、資本主義を自然なもの、与えられたものとして無批判的に前提する「古典派経済学」の限界をつきながら、特殊歴史的なものとして資本王義を理論的に解明したのが「資本論」である。
 

 マルクスによれば「資本主義的生産様式の生産関係と交易関係から成り立つ構造と経済的運動法則」を明らかにすること、すなわち資本主義の原理を解明することが、その最終目的であった。
 「資本主義的生産様式」というのは、資本家が、生産手段とともに「労働力」をも商品として購入すること(=賃金労働者の雇用)によって「商品」の生産を実現し、その販売を通して利潤を獲得していくという意味である。つまり、「資本」が生産関係の存立を主導する経済であり、それゆえ資本王義的生産様式の構造と経済的運動法則を解明することは、「資本」を正面に据えることを意味した。
 

 ここで経済的運動法則というのは、資本主義経済が資本主義的商品経済だけで、非資本主義的な関係に依存することなく、自律的に発展するプロセスという意味である。いいかえれば、「資本論」が想定するのは、純粋資本主義モデル(社会が資本家・労働者・地主の三大階級から構成され、周期的恐慌を含む景気循環が見られ、国家は夜警国家としてのみ存在する)であり、それはどの社会においても不可欠である原則を商品形態だけをもって実現することを示すものであった。資本主義が特殊歴史的社会として存立することを明らかにするモデルであることが、相対化された「仮想現実」としてのモデルである。
 

 マルクスは、この資本主義の原理を示す「純粋資本主義モデル」を、19世紀のイギリス経済が現実に示した純粋化傾向から抽象したのであったが、19世紀末以降、資本主義はまったくこれとは別の局面を展開した。例えば、三大階級に含まれない中間層の増大、金融資本の組織的独占体の形成による自由競争の制限、国家による経済過程への積極的な関与などである。
「資本論」は、20世紀に入ってからは、こうした現実をどう説明できるのかをめぐって議論に上るに至った。いいかえれば、「仮想現実」が限りなくリアリティを伝えるときに、その存在理由が問われるに至ったのである。これに対し、ヒルファーディング「金融資本論」、レーニン「帝国主義論」、宇野弘蔵「経済政策論」などによって、「資本論」が明らかにした資本主義の原理を基底としつつ、資本王義は世界史的な発展段階をもつことが示されたことが知られている。
 

 しかし、21世紀を前に現代の資本主義は、とくに1970代以降再び大きく変容しており、それが脱工業化社会(=情報化社会)という、情報技術が本来の「仮想現実」を実現するような、資本主義の原理そのものを脅かしかねない動きであることから、「資本論」はその歴史的射程を今度こそ根源的に試されることになるのではないかと思われる。

感想

 資本論をじっくり読むと多くの事が現在でもあてはまる思います。しかし、一度読んだだけでは資本論の本質をつかむことは難しいと感じました。とても読み応えがある本です。

資本論 (1) (国民文庫 (25))

資本論 (1) (国民文庫 (25))

  • カール・マルクス

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