種の起源=「自然選択の方途による種の起源」とは

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種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

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 進化の要因は自然選択であり、全ての生物は共通の祖先に遡る

自然選択説

 「種の起源」の正式な題は、「自然選択の方途による種の起源」である。このことからもダーウィンが重視したのは、進化の事実そのものよりは、「進化の要因としての自然選択」である。自然選択とは、生物の中で環境によく適応したものが、そうでないものよりも多くの子孫を残すことができるということである。
 

 生物が進化することについては、ダーウィンより以前に、ラマルクの『動物哲学』(1809)を始め、すでに主張されていた。ダーウィンの独自性の第一は、その要因としての自然選択説であった。ダーウィンの説は、人間が行う品種改良作業である人為選択からのアナロジーで導入されたこともあって、自然選択を実行する何らかの主体として、神あるいは「自然」という実体を想定しているのではないかという当時の人々の疑問に対し、ダーウィンは「種の起源」で『私は「自然」という言葉で、多くの自然法則の総体的な作用および産物のことをいっているだけ』という文章を付加している。

 ダーウィンの進化論のもう一つの特徴は、「共通起源」と「分岐の原理」である。それは、「現存の様々な生物の種を先祖へと遡っていくと、それらは共通する祖先に至る」、あるいは逆に言うと、「ある一つもしくは少数のものから次第に多くの種が分化してきた」というものである。このことは、進化論をとるならば当然のように思われるかもしれないが、そうではない。例えばラマルクの進化論では、「現存の生物種のそれぞれは、過去へ遡っても決して交わらず」、それらは別々の時期に自然発生によって無生物から誕生した最も単純な生物へと行きつくのである。分岐の原理の一つの帰結はラマルクを含めて一般的であった。生物界には下等から高等へという序列があり、下等なものから高等なものへ向かっての発展ないし進歩として進化を解釈することが否定されたことである。

 このような主張は、当時どう受け取られたのであろうか。当初いろいろな批判があったとはいえ、「種の起源」が刊行されて10年経ったころにようやく人々に受け入れられた。しかしそのことは、以上のようなダーウィンの主張が理解されたことを意味していない。
 受け入れられたのは進化の事実一般だけであり、生物界について「高等-下等という言葉を使わないように」というダーウィンの主張は理解されなかった。「社会進化論」として有名なスペンサーらもその点を理解していなかったことは同じであり、彼らは通常「社会ダーウィニズム」と呼ばれているが、ダーウィンとは違って「進化=進歩」とする点で「社会ラマルキズム」と呼んだ方が正確である。「進化=進歩」とする発想は根強く、ダーウィンの進化論をドイツに普及させたヘッケルは、彼独自の進化思想をもっており、「系統樹」を初めて描いたが、それは枝分かれを認めてはいるものの、最も単純な生物から人間へと上昇する「幹」とそれ以外の「枝」を区別している。
 しかも十九世紀後半から二十世紀の初頭にかけては、進化要因論としてのダーウィンの自然選択説は科学者の間でも不評であり、息子のフランシスでさえも父の考え方を支持しなかった。「ネオ・ラマルキズム」「定向進化説」などさまざまな考えが出され、「メンデリズム」も、ダーウィニズムと対立する考えとみなされていた。この時期は「ダーウィニズムのたそがれ」と呼ばれる。

 こうした状況は、1930年代に集団遺伝学があらわれ、メンデリズムとダーウィニズムを統一した「進化総合説」が出現することによって一変した。これ以降、特に第2次大戦後には、生物学者の間では、一時期ルイセンコ学説が獲得形質遺伝を主張してダーウィニズムに挑戦したのを除くと進化総合説が基本的に支持されるようになり、ダーウィンのもともとの主張が理解されて受け入れられるようになった。しかしそれにもかかわらず、生物学者の外部では、「進化=進歩」とする19世紀的な進化理解のパターンが現在でも根強く残っている。

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