社会学とは世間という個別具体を考える学問である

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社会学 - わたしと世間 (中公新書)

この本は、タイトルの通り「社会学」という学問について述懐、或いは紹介したものである。とはいうものの、副題に添えられた『私と世間』という表現の通りこれはあくまで「筆者の加藤秀俊氏から見た社会学について書かれた本」である。そういった意味では「社会学について綴られた随筆」といったような雰囲気も感じられる。

誰による誰のための社会学か

だが、そういった個別性、私的性こそが社会学の性質なのだと筆者は述べる。筆者の観点からいえば「社会」とはすなわち「世間」なのである。世間とはその人の身の回りの環境であり、「みんなそう言ってる、みんな持ってる」の「みんな」なのである(筆者は文中ではその範囲を「交際圏」と呼ぶ)。
そういった身の回りの「みんな」がどんなことを考え、どんな環境やしきたり(それは伝統と呼ぶこともあれば決まりごとと呼ぶこともあるだろう)の中で暮らしているのか。それを調べ、学んでいくことが「社会学」なのであると筆者は言う。いわば、「民俗学」のごとき「世俗学」だと。
またそういった自分の周りの世間を研究しているからこそ特殊性が伴い、再現性は存在しない、したがって科学ではない「疑似科学」なのだ、とも言う。

人々が交際する中での媒介物の重要性

以上が「筆者にとって社会学がどのような学問であるか」である。では、その上で氏は本文でどのような分野を軸に語っているのだろうか。一言で言えば「世間で人々が交流する際に媒介とする手段について」と言えるだろう。
人と人が関わる「縁」から始まり関わりの中でコミュニケーションの手段して用いられる「ことば」や「しぐさ」とそこから発展していく「メディア」、集団の中の役割によって定められていく「タテ」と「ヨコ」の連なり。そうして人が集まる中で人々の「居場所」が特定の属性を帯び始め、そうした様々なコミュニティにおける集団の中で個人がどんな「役割」を持つのか。
そういった流れで本文は展開されていく。

私の社会学は私だけの社会学

そしてまとめとして、それらを研究する上で重要なものは結局のところ自らの視点によって自分の周囲の「世間」を見ることであると筆者は言う。海外の研究を参照してみるのもいい、先人の研究を見てみるのもいい、だがそれらを二次的に研究したとしてもあなたの社会学とは言えないのだ。自ら足を運んで周りを調べ分析する。そこにあなたの周りの「社会」を解明する手がかりがある。

感想

この本に書いてある意味づけこそが社会学の真の見方だとは、もちろん思いません。ただ、個人と社会の関係性を考えたとき、個人から見た社会はどう見えるのか、またそれが反映される社会学という科目はどのような特性を持つのか、という視点としては非常に鋭い考え方であると感じました。「アメリカの社会学」と「日本の社会学」は異なる、これを知らずにアメリカの社会学を天下り的に勉強する学者が多い、という点も一理あると思いましたね。
シンプルな題名かつゴツい物が多い中公新書ということで二の足を踏む可能性もありますが、非常に読みやすい内容なので、専門でなくとも興味がある方は手に取って損はないのではないかな、と思います。

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